林市造さん母への手紙の一節
『晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けて来ます。
母チャンが私をたのみと必死でそだててくれたことを思うと、何も喜ばせることが出来ずに、安心させることもできず死んでゆくのがつらいのです。(中略)
私もまだ母チャンに甘えたかったのです。 (中略)
一度会ってしみじみと話したかったのですが、やはり抱かれてねたかったのですが、門司が最後となりました』
参考引用 「いざさらば我はみくにの山桜」展転社 平成6年
【警察学校生の感想】
現代の青年の心の揺らぎ
今回の講話は、自分には遠い昔の出来事で実感できず、また軍国主義の中で個人の気持ちなど関係なく強制的に参加させられたことだろうと考えていた。しかし、それは自分の認識不足だと気がついた。
手紙はどれも簡潔で力強く美しいものだった。
何より驚かされたのは、若者達は死に対する恐怖の中、愛する家族を守るために家族が住む日本を守る覚悟を決めて死の待っている戦場へ行ったことであり、その気持ちを受け止めて送り出した母親の姿であった。(中略)彼らは、今の若者と同じで死ぬのが怖く、家族を大切にしている。ただ誰かが犠牲にならなければ、家族や多くの日本人が不幸になってしまう。それなら自分がやろうという純粋でやさしい気持ちがあった。
こんな思いで戦争に行ったとは、今まで教えられなかったし気づきもしなかった。
太平洋戦争は日本人が間違った方法で世界に進出していった結果で、戦争に参加した人も何か悪い印象があった。どこでそんな印象を持つようになったのかは判らない。
確かに軍国主義的な思想を持った人は存在しただろう。しかし、敗戦の色が濃厚な中で家族や日本のために命をかけた優しい気持ちを持った若者達が存在したのも確かだ。
それを軍国主義という考えで、しかも戦争の負の部分と一緒にしていたことが、同じ日本人としてとても申し訳なく思う。
優しい人がその優しさ故に、家族と自分のいない未来日本を守るため死んでいったのは、とても美しく大変悲しいことだ。今の日本が太平洋戦争と同じ状況であったらどうであろうか。自分には予想できない。今の人は愛国心が欠如している、その通りだろう。しかし、家族を愛する気持ちは変わっていないだろう。
(中略)自分自身も、どういった行動を取るのか判らない。死ぬのは怖いし、愛する人を守りたい気持ちも大いに持ち合わせているつもりではある。
更に自分は警察官として、愛する人だけでなく一般市民を守る責務があり、そのために自分自身をなげうたなければならない場面に出くわすかもしれない。平常時の今なら覚悟があると言えるが、その場面に出くわしたらどうだろうか。判らない。ただ、今回の講話を聞くことで、警察官として日本人としてどういった行動を取ればいいのか、理論的ではなく感情的に教えられた。日本人は愛国心を失っている。また、親などに対する感謝の気持ちも希薄になってきている。大切なことを無くしている。この大切なことは何であるのか。本当の優しさとは、本当の勇気とは一体何であるのか。
こういった、人として基本的で重要なことを知るためにも、この尊い経験と貴重な資料を次の世代に引き継ぐことはもちろん、その意味を理解し教えていくことこそ大切なことではないのだろうか。警察官を拝命して日本の治安を守っていくべき自分が今まで理解していないのが非常に恥ずかしい思いがした。しかし、警察官として、また一人の日本人としてこれからを生きていくにあたり、大きな指針を得ることができたように感じている。
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