6、勤勉そして労働を喜ぶ精神

山川弘至さん
山川弘至さん

   山岡荘八の筆によって記録された西田高光さんの言葉。

「われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに・・・・」。

さて、当時の青年達の胸中にあったものは何だったのだろうか。戦争とは、戦死とは、そして民族の誇りとは。

今日の日本人にとって、自身の胸に尋ねてみることのないこの問いかけに、山川弘至さんが妻へ送った手紙が応えてくれている。

 『比島の前線よりこちらへ帰ってくる航空部隊の人たちにききますと、比島の原住民といふのは、魂の底まで白人文明の陰謀にむしばまれてゐるのに、今さらのやうにおどろきました。それは一見大へん幸福な生活のやうに見えて、もつとも人間にとつておそろしい生活であり、しかもいちどこの味をおぼえるともうとてももとにかへれないやうな、おそろしいもののやうです。ともかく比島人は、とてもぜいたくな風俗に浸り切つて、勤労のよろこびといふやうなことは、全然しらない人種だといふことを知りました。しかもアメリカの物質文明の害悪が、心の底までしみこんでゐるやうです。もし日本が負けたら、我々の民族も又かくして永久に太古以来の、比類ない民族精神を喪失することでせう。どうしてもかたねばなりません。我々が勝たねばわづかにアジアにのこつて日本によつて支へられてゐるアジアの精神が、永久に地上から抹殺されてしまいます。』

山川弘至さんは、昭和18628日に結婚、その5日後に応召。20811日に台湾・屏東の飛行場にて敵爆撃により戦死されている。彼は、國學院大學において折口信夫の門に入り、国学及び純神道の研究と確立に生涯を捧げようとした学者であった。自らの志を記した「修養録」には、「自分は元来国学者としての道に志し、入隊以前にあっては文学学問において国を護り、国粋を保護し国体の無比なる本義を究めんと志した。国学者の信念に立って、この国難に殉ずる決心である。」と、書いている。しかし、その決意の陰には、「男が身を挺して国難に赴く時、女も献身的でありたい」として、急遽結婚の意志を固めた京子夫人の存在があった。こうして、山川さんは出征。軍務にあった2年間に任地から出された書簡は、その数およそ二百数十通に及ぶ。厳しい軍務の中にあって、これだけの手紙を妻や家族に認めたのは、深い愛情によるものだった。更には、台湾の戦地にて山川さんは国学者として後世に残るべき仕事を成し遂げる。古事記を訳した長編の叙事詩「日本創世叙事詩」である。京子夫人は、遙か南の戦場からこの原稿が届いた時、これは主人の生涯を賭けた作品だと直感し、何としても出版しなければと、灯火管制の下で原稿用紙に書き写した。そして、空襲の続く中これを守り抜き、昭和27年に遂に出版に至る。夫人は、その「おくがき」に、「彼が厳しい軍務の後の夜更けを殺風景なたむろの一室で、ひとり神話の世界に没入し神々と遊ぶ姿が目に見え、溢れる涙をとどめ得なかった」、そして「神話を古事記以前の形にかへし、美しい詩によつて尊い日本の創世記を語り、又自らの生活にそれを実践し、実に身を以て教へてくれた」と、愛する人の姿を想い、会えぬ悲しさ敬慕の心を書いている。

山川弘至さんは、原稿の最後に次の一首を記していた。

「日の本のみちの正みち明らめて永久にしづめむ大和心を」

参考引用 「山川弘至書簡集」 山川京子 平成3年 「散華の心と鎮魂の誠」展転社平成7年 

 【警察学校生の感想】

 汗をかいて労働する喜びを持てていない

  私にとって最も印象が強かったのは、フィリピン人が心底白人文化に蝕まれていて汗をかいて労働する喜びを忘れ、ここで勝たなければアジアの魂が失われてしまうという山川さんの話です。  私は今まで大東亜戦争とは、国のため、天皇のため、大事な人のために戦っていたのだと思っていましたが、山川さんは違いました。国の特質というか国柄を守るために戦っていたのです。私達は、山川さんが守ろうとしたものを守り続けているでしょうか。私は、この話を聞いた時、汗をかいて労働する喜びを持てていないと感じました。暑ければエアコンを使い、寒ければヒーターを使う。移動には車を使い、少しお金を出せば労せずして空腹を満たすことができる。私達は、山川さんの心配していたとおり、アジアの魂を失い白人文化に蝕まれているのではないでしょうか。 私はこれから警察官として、国民のために働いていきます。山川さんが守ろうとしたアジアの魂。勤勉さが求められ、又、保持していかなければならないのが警察官の職務です。機械に頼りすぎて楽をして職務を全うすることなどできません。山川さんの話から、「国民ために汗をかいて働かなければならない」ということと、「警察という職務の中で、自分の目標を明確に立て、その目標に向けて努力をしなければならない」と、決意しました。 山川さんと同じく大東亜戦争に参加した祖父は、私が警察官になってから私の顔を見るたびに、せっかく警察官になれたのだからみんなのために頑張らなければ駄目だぞ、と言います。その言葉は、聞くたびに納得させられます。 私は、これから第一線に出て国民のために仕事をします。これから先、どんなに時間が流れても、山川さんと祖父の言葉を忘れずに常に汗をかき必死に働こうと思います。

  【警察学校生の感想】

勤勉の美しさを守ろうとした 

 台湾で戦死した山川弘至さんが、フィリピンの様子を聞いて嘆いたという話である。西洋の大量消費社会文化が浸透し、人々は快楽にふけって怠惰である、と言った内容だったと思うが、現代社会はまさに大量消費の時代を迎えている。物があふれ、それを手に入れるためだけの生活に溺れる。確かに、人間の成長さらには社会全体の成長を阻害するようで危険な感じがしてくる。 

 働く喜び、これは一度でも一つの仕事を成し遂げたことがある人なら、達成の清々しさを知っているはずで、きっと多くの人がわかってはいることだと思う。ただ、あまりにも経済が発展したために、労働の目的の優先順位が変わってしまったのではないかと考える。戦時の労働というのは肉体労働が多数を占めていたであろうから、現代も、先ずは身体を動かす喜びを取り戻すことから始める必要があるのではないだろうか。動くことを嫌がらずに、そこに喜びを見出す。意識一つで変えられる気がする。 

 自分より人を思いやり奉仕する、あるいは勤勉の精神、こういったものは警察官の職務においても必要とされる。この機会に、戦中の人々の心情を思い当時の良き心を学び、「現代人は昔の良さを失った」などと言われないように、いつまでも日本人が培ってきた日本人の精神を保ち続けてゆきたい。