東日本大震災後、警察学校生の感想に変化が
東日本大震災において、避難誘導などの警察活動中に津波に襲われ、宮城県警の警察官9名の方々が殉職されている。その氏名は新聞でも公表されたので、講話受講生1000名余の感想文に記された氏名と照合、三人の名前が一致したのだった。私は、その内容を読み返した時の切なさ悲しみを、やっとの思いで日記に残しているが、発信するにはまだまだ時が必要だと思っている。ここでは、震災後の警察学校生等の感想をいくつか紹介してみたい。明らかに何かが変わったと、私は感じている。
【警察学校生の感想】
最後の最後まで警察活動を続けた先輩方を誇りに思います
「あなたは、(終戦記念日の)黙祷を捧げる時、何が頭に浮かびますか。」と、問われた際、私は正直戸惑いました。特別ドラマなどで戦時中を再現したものがありますが、このようなドラマのワンシーンが少し頭に浮かぶだけだったからです。戦っている最中や特攻隊などで命を落としたことに対して「つらかっただろうな、まだ若いのにかわいそう。」、というような軽々しい思いしかありませんでした。現在の日本は戦争と無縁の平和な国であるため、今の平和な視点から過去のことを見つめることしかできていなかったのだと思います。
しかし、今回の講話を聞いて、私は間違っていたのだと気づくことができました。たとえば、私は警察官なので警察官を例としてあげます。もしも震災が発生した場合、果たして自分は死の恐怖に耐えながら覚悟を決めて警察活動を続けることができるのだろうかと考えてみたところ、迷わずに続けることができるとは言えません。なので、東日本大震災等で自分の命をかえりみずに、市民のために警察活動を最後の最後まで続けた先輩方を誇りに思いますし、私もそのような警察官になりたいと思います。
そして、このような考え方が、戦争で亡くなられた方々に対しても当てはまるということに気づかされたのです。
戦没者に対する思いは、哀れみではなく尊敬と賞賛です。
自身の欲望を抑え、国のために忠義を尽くした姿は、警察官という職業においても見習うべきところが多くあると考えます。また、親への感謝の気持ちを告げられない者が社会の役に立てるわけがない、というお話を聞き、もっと私は親孝行しなければならないと思いました。
今後、黙祷を捧げる際には、使命感を貫き亡くなっていった勇気ある先輩方の姿が頭に浮かんでくるだろうと思います。
【警察学校生の感想】
使命感に駆られた人達だったことを知る
私は今回の講話を聴講し、当時の人の気持ちに触れることができたような気がします。気持ちそのものでなくても、心や考え方の一端に触れることが出来たと思います。何故なら私は、当時の人の心の熱に胸を打たれ、余計なものの混じらない純粋で裸のままの言葉の力を強く実感したからです。
私はその一つ一つの言葉の力に圧倒され不覚にも涙が止まりませんでした。私は決して涙もろくはなく、むしろほとんど涙を流すこともなかった上、これからも相当なことの無い限り涙を流すことはないと自負していました。
そんな私の気構えが、まるで初めからなかったかのように次から次へと涙があふれ出て止まりませんでした。このようなことから、私は強く言葉の力を実感しました。
そもそも私は今回、自らの無知と、これまでの自分の視野の狭さを恥じました。私は、太平洋戦争という呼称が戦後にアメリカによってつけられたことする知らなかったのです。これまで大東亜戦争の名称は知っていましたし、太平洋戦争と同一であるとも知っていました。が、せいぜい時代によって呼び方が違うだけだと思っていました。さらに私は、大東亜戦争での戦没者に対し、かなり偏った見方をしていたようでした。戦没者、主に特攻と称して敵艦に突入するような行為を敢行した方々に対して、国の急進的な指導者に煽られ洗脳された結果、国のために戦って死ぬことを喜びであるかのように仕組まれてしまった、心底かわいそうな人々という印象を持っていました。
しかし、今回の講話を聞くと、私のこれまでの印象は間違っているものであったと認識を改めざるを得ませんでした。洗脳されてかわいそうと感じていた方々は皆、死ぬことを喜んでいたのではなく、自らを生み育ててくれた国を親を家族を守るために戦ったのだと、また戦うことにより自らの死によって民族の誇りが守られることに大和魂を顕現できることに対して喜んでいたことを知りました。戦没者の方々は皆、戦時中という厳しい時流の中で、日本に生まれた誇りと、祖国を守るという使命感に駆られたのだと知ることが出来ました。
【県警幹部の感想】
東日本大震災発生時、誰も逃げなかった
三月十一日午後二時四十分を迎えた直後のあの瞬間、多くの警察官が自分自身の中で一つの覚悟を持ったと思います。
そして、午後四時前後の大津波の到来と共に、各自が持った覚悟は、現実味を持って行きました。あの時、我々警察官の前に展開されたのは、目を背けたくなるほどの惨状だったはずです。その修羅場の中で、黙々と警察活動を続けてきた我々警察官には、やはり「覚悟」は残っていたのだと思います。昨今、韓国における客船沈没事故の有様をテレビニュースで垣間見て、あの311の惨状での警察官を思い起こす都度、私は、日本人であること、日本の警察官であることに、やはり誇りを感じます。誰も逃げなかったし、誰も後ろ指をさされることはなかったのですから。
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