病院船の歌
支那長江のほとり九江陸軍病院で、賀陽宮家から賜った種子から咲かせたカンナの花におおわれて、29歳の若き命を祖国に捧げた西沢都弥さん。
その豊かな詩心から書き残された和歌や詩は、麗しく貴いものであった。西沢看護婦の作詞による「病院船の歌」は、日本赤十字社推薦の愛国歌ともなり、母校府立第五高等女学校(現・都立富士高校)の同窓会若竹会によってレコード化されている。
その3番は、
ともしび暗き船内に 手足の自由失ひて 熱に苦しむつはものを
母ともなりてみとる時 やまとをみなと生まれたる
使命と幸を思ふかな
西沢さんは、日赤中央病院看護婦養成所修了後、賀陽宮大妃殿下の御付添い看護婦となり、その後、二度目となる従軍看護婦として戦地へ旅立つ折に、宮様の御庭に咲いたカンナの花の種子を頂いたのだった。第一回の従軍時には、病院船での激務にあたる。二度目となった従軍時、中支の陸軍野戦病院に勤務中、チフス・マラリア・赤痢を一度に患い亡くなられたのであった。
彼女の日記には次の短歌も記されていた。
血に染みて ちぎれちぎれの 軍服を 脱がせつつ我 慰めかねつ
母の御名 呼びつつ兵の みまかりぬ アカシアの香 しるき夜更け
そして、看取る身が看取られる身となった時、西沢看護婦は死を悟り、友人に次の遺言を残していた。
『私にもしものことがあったなら、トランクの中に新しい白の寝衣がございますからそれを私に着せて下さいませ、お化粧もお忘れなくお願いいたします。そして、私の身体は東の方に向けて宮城(きゅうじょう)の遙拝ができるようにくれぐれもお頼みいたしておきます。』
宮家から頂いた種子を戦地で蒔いて花を咲かせ傷病兵の枕辺に飾り、母心のままに兵士を慰めたやさしい西沢さん。こうした看護の時にこそ、「やまとをみなと生まれたる 使命と幸」を思っていたのであろう。
参考引用 「散華の心と鎮魂の誠」展転社・平成7年
【警察学校生の感想】
日本の女性の鏡
(前略)私が一番心に残った話は、西沢都弥さんの物語です。負傷して手足の自由を奪われた兵隊の方々を母のように看病して、そういった時に日本の女性と生れたことに幸せを感じると書かれている。普通、このような心を持てるものだろうか。私は、当時の方々の心がどれほど清らかでまっすぐなのかを感じさせられました。このような心を持った人が、今の日本でどれだけいるのだろうか。花を育てて傷病者のそばに置いて励ますような人は少ないように思える。西沢都弥さんは、日本の女性の鏡であると思いました。(後略)
【警察学校生の感想】
私は、3歳と6歳の男の子の母親です
今回の講話で、私達日本人が大東亜戦争という日本における歴史の重大事項について、いかに知らされていないかを実感しました。 現代の我が国では、「愛国心」は非常に歪められた形で存在しています。「愛国心」を表に出して語れば周囲から敬遠されるという風潮の中で、私達の多くは「愛国心」を語ることも、そしてさらには抱くことすら止めてしまったのではないでしょうか。しかし、60年前に私達の先輩方が書き残した日本を愛する心は、何と美しいのでしょう。その心は、親や兄弟姉妹を愛する心と同様に美しく、先輩方は日本という国を守るために、尊い若い命を捧げたのです。それなのに、私達後輩が「愛国心」を語る事すら出来ないとは、先輩方が知ったらきっとひどく胸を痛められると思います。
戦争は2度と繰り返してはならないことです。戦争に勝る人類の不幸はありません。地球上で生命よりも大切なものなんて存在しないと思います。しかし、「愛国心」がすなわち戦争に繋がるという考えは、あまりにも短絡的で意味をなさないのではないでしょうか。先輩方が最後に書き綴った手紙を読んで、「よし、戦争は素晴らしい。また起こそう」と思う人がいるのでしょうか。これらの手紙を読んだ人は、国や家族を愛する心の美しさに胸を打たれると同時に、だからこそ、こんな美しい心を破壊してします戦争は2度と起こしてはならないのだと誓うのだと思います。
私は、3歳と6歳の男の子の母親です。母が子にとって、如何に大きな存在であるかを思い知りました。今はまだ小さい息子達が成長し大人になったとき、私は彼らにとって、こんなに偉大な存在でいられるだろうかと思います。でも、そうならなければならないのです。子供に無償の愛を捧げること、それこそ、母としての私に与えられた任務だからです。
コメントをお書きください