1、一秒一刻を懸命に生きる精神

溝口幸次郎少尉
溝口幸次郎少尉

 戦時下、海軍の飛行科予備学生として訓練に励んでいた溝口幸次郎さんの日記を紹介します。

『現在の一点に最善をつくせ」「ただ今ばかり我が生命は存するなり」とは私の好きな格言です。生まれ出でてより死ぬるまで、我等は己の一秒一刻によって創られる人生の彫刻を悲喜善悪の修羅像をきざみつつあるのです。私は一刻が恐ろしかった。一秒が重荷だった。もう一歩も人生を進むには恐ろしく、ぶっ倒れそうに感じたこともあった。しかしながら私の二十三年間の人生は、それが善であろうと悪であろうと悲しみであろうと喜びであろうとも刻み刻まれてきたのです。私は、私の全精魂をうって最後の入魂に努力しなければならない。』

この日記を宮城県警察学校で倫理講話として話した時、受講生の感想にはこうありました。

『私は溝口幸次郎命の日記に強くひかれた。「現在の一点に最善をつくせ」「ただ今ばかり我が生命は存するなり」という格言が好きだという溝口さんは、最後の最後まで必死に生きたことが想像された。格言の精神を、身をもって示す態度に迫力を感じた。自分は、いったいどれだけ一秒一刻を無駄に生きて来たのだろうかと思った。一秒一刻を懸命に生きようとする精神、今、自分に足りないものだと思った。』

さらに、溝口日記の前段には

『私の父上も私の母上も、農に生き抜いた偉い方です。両親の若い時の苦闘を聞くと本当にすまない気がします。山間の田舎道を、荷車を引いて人が行く。飛んで行って車の後押しをしてみたい気がわいてきます。もう何のお手伝いをすることもできない私の不孝をお許し下さい。どうぞ御体御大切に。』

この下りに、警察学校生は、

『自分の親を思う気持ち、家族を思う気持ちのような人への思いやり、自分の国に誇りを持ち愛する精神、そして一生懸命生きようとする「生」のエネルギー。どれも、今の日本人が忘れかけているものだ。』

すでに気づかれた方もいることでしょう。溝口さんは特攻隊員として沖縄周辺洋上で戦死された青年です。つまり、自らの死を意識しながらの訓練の最中にあっての日記でした。その日記から、現代の警察学校生は『一生懸命生きようとする「生」のエネルギー』を感じ取っているのです。

溝口日記の結びは、母を思う言葉でありました。 

『私は誰にも知られずにそっと死にたい。無名の幾万の勇士が大陸に大洋に散っていったことか。私は一兵士の死をこの上もなく尊く思う。母上さようなら。母上に絹布団に寝ていただきたかったのに。』
 このブログは、『一生懸命生きようとする「生」のエネルギー』に満ち満ちた先輩たちの記録によって、人生に迷ったり心が弱くなっている人たちを励ましたいとの思いで書き始めました。先人の心に触れて、心を振り震わせてほしい。そんな願いを込めて、ブログの名前を「Kokoro huri hure」としました。 
懸命に生きた勇者たちの記録を紹介し、警察学校生など現代の青年たちの感想も記してまいります。どうぞ、お読みください。

参考引用  「いざさらば我はみくにの山桜」展転社 平成6年

 

 

溝口幸次郎日記への感想

今後、警察道に生き抜く覚悟を決め、私は本物になることを目指します。 

 心が痛みました。60年前に戦死された同世代の英霊たちの思いに対するものと、自分に照らし合わせたときに感じる心苦しさと、2つの痛みです。現在、私は29歳。60年前の彼らは、私と同年代かあるいは年下がほとんどです。表情にもまだあどけなさが残る若者が、やがて必然的に起こりうる「死」という運命を正面から受け止め、その上で愛する家族を、国を想う気持ちはまぶしいほど純粋でした。とかく、天寿を全うした人でさえ近い将来必ず訪れる自らの死に直面したならば、少なからず動揺することでしょう。生きることへの執着や無念さがこみ上げることは、自然な感情だと思います。しかし、彼らは違いました。時代や国に半ば翻弄され、若くして日本のために自らの死以外に選択肢のなかった生涯でした。にもかかわらず、恨み言の一つも残さなかった。そればかりか、時代も人も変わった何十年後の後世の人々にも感銘を与え、心を打つのです。それは、まさに彼らの言葉は魂の言葉に他ならないからだと思います。 
 古代から、存命中に功績を残し周囲に影響をもたらした人物は数多くいるでしょう。また、歴史上の人物などは死後もその時代時代に語り継がれ影響を与えます。しかし、彼らのように存命中は無名であった若者が、残していった魂の言葉によって、後世に影響をもたらすということは、至極まれであるでしょう。そういう意味では、彼らの死は決して無駄ではなかっただろうと思います。 
私は、彼らの魂に触れたことで、自らを省みるきっかけとなりました。あまりにも平和ボケしている自分に恥じらいすら覚えます。特攻隊員と警察学校生という違いこそあれ、市民のため、日本のために訓練する日々は同じはずです。しかし、彼らは死ぬために訓練をしていた。溝口幸次郎の言葉を借りて、今、彼らに言うことが出来るのであれば、「あなたたちもまた死するために生き抜いた偉い方々です。」、と言ってあげたい。そして、私は、あなたがた一兵士の死を、この上もなく尊く思います。 
私達が、いずれ本物の警察官となり、この国の治安を支える一助となれたなら、「日本のため」という彼らの想いへの私達なりの報いになるはずです。 
今後、警察道に生き抜く覚悟を決め、私は本物になることを目指します。  

 他人のために行動できるだろうか
講話中、私はずっと考えていました。私には警察官としての資格がないのではないかという思いでいっぱいでした。命を投げ出してまで、他人のために行動できるだろうか。今の私には、とうてい無理だと思います。私は、警察学校入校以来、ある夢を見るようになりました。それは、犯人に襲われる夢です。夢の中の私は、犯人を目の前にしたとき、いつも声すら出せず何一つ出来ません。そして、目覚めた時、自分の無力を痛烈に感じます。こんな私にくらべ、講話に登場した皆さんはなんて素晴らしい勇気を持っているのでしょう。正直、同じ年代の人がこのようなことを感じ考えていたなんて驚きました。本当に尊敬の念に堪えません。「命がけで仕事をした人は使命感を得られる」、講師のこの言葉が印象的でした。私には甘えの気持ちがあるのだと思います。だから、もっともっと上を見て高いところに目標を置き、一歩づつ登っていけるよう頑張ります。そして、警察官だと胸を張って言えるような自分になりたいのです。「親を真剣に思いやる心が、他人を思いやる心に繋がる」との言葉も心に残りました。私の両親は、今でも私のことをとても心配してくれています。やはり、女性ということで警察官の仕事は危険だとの思いがあるからなのでしょう。講話の中で「親孝行」が話題になった時、私には何が出来るか考えました。色々と考えましたが、一番は私が元気で無事でいることだと思いました。私は、今日まで両親に支えられ助けられて生きてきました。でも、警察官として絶対に逃げられない場面もあることでしょう。もし万が一、最悪の事態になった時、両親が納得してくれるような生き方をしなければと思います。だから、受傷事故等には絶対にならないよう、命を大切にしなければならないと思っています。