22、母チャンに抱いてもらって その2

出撃前、鹿屋基地でおにぎりを頬張る林市造さん
出撃前、鹿屋基地でおにぎりを頬張る林市造さん

 林市造さんについては、当ブログ3番「母チャンに抱いてもらって寝たかった」で、手紙の一節だけを記した。警察学校での講話時、この一節を読み上げるだけで、受講生たちは強い反応を示すのだった。その背景を語らずとも、同年代の青年たちは、林さんの母への思いを敏感に感じ取り涙を流している。素直で飾り気のない言葉が、胸に届くからだろう。

今回は御母堂の手記も含めて母子の思いを記し、警察学校生の感想も二つ紹介する。

 

 敬虔なクリスチャンだった母の影響を受けて育った林少尉は、

「すべてが神様の御手にあるのです。神様の下にある私達には、この世の生死は問題になりませんね。私は賛美歌を歌いながら敵艦につっこみます」

と、母への便りをのこして、鹿屋基地から雲のかなたへ飛び立っていった。

戦後、母まつゑさんは次の手記を某誌に寄せた。

「泰平の世なら市造は、嫁や子供があって、おだやかな家庭の主人になっていたでしょう。けれども、国をあげて戦っていたときに生れ合わせたのが運命です。日本に生れた以上、その母国が、危うくなった時、腕をこまねいて見ていることはできません。そのときは、やはり出られる者が出て防がねばなりません。」

 また、「吾子は散りにき」と題して次の歌も詠んでいる。

    一億の人を救ふはこの道と 母をもおきて君は征(ゆ)きけり

 母をおいて出撃していった林少尉の最期の便りは、

「一足さきに天国に参ります。天国に入れてもらへますかしら、お母さん祈って下さい。お母さんが来られるところへ行かなくては、たまらないですから。お母さん、さよなら。」だった。

参考引用 「いざさらば我はみくにの山桜」平成6年・展転社

 

 【警察学校生の感想】

 私は入校前、自分のどのような事を犠牲にしてでも、苦しみ悲しみ辛い思いをしている方々のために、身を投じて職務に当たる警察官になると心に決めていました。しかしながら、実際は、その思いとは反対に、自分に与えられた事を処理することで精一杯で、周りに目を向け他人のために動く余裕すら持てないでいます。何か問題の壁にぶつかるたび、肩を落とし世の中で最大の辛さを背負ったかのようになっていました。そんな自分があまりにも惨めで情けなくて仕方ありません。「本当に辛いとは、どういうことなのか。」、この問いが投げかけられた時、自分の精神の弱さと自己確立の不安定さが如何に甚だしいか考えさせられました。戦時中、同世代の方が短すぎるほどの命を後世の我々のために捧げてくれました。やりたいこと、見たいもの、出会いたい人達が沢山あったと思います。けれども彼らは、与えられた運命を真に受け止めまっすぐな思いで、その使命を果たして行きました。私は、祖父母から戦争体験を聞き、自分は何て幸せな人間なんだ、やろうと思えば何でも出来る環境にいる。何を甘えているのかと思わされます。それでも、生活を送るうち流されてしまい、この国を守ってくれた先輩達のこと、命を捧げた人の精神を引き継いで戦後を生きた人々のことに心を留め置けない自分を恥ずかしく思います。

 林市造さんのお母様の手記に、「国を挙げて戦っている時に生まれ合わせたのが運命です。」と、ありました。世の中に、我が子の命を惜しまない親がいるでしょうか。戦中、国のためとは言え、涙を流さずに息子の最期を受け入れられる母がいったいどこにいたのでしょうか。そんな思いをされた数多くの方々がいたからこそ、現在の日本があります。 

警察官として私にできる事は、未来のために平和な社会づくりへの貢献です。治安維持という警察のみに与えられた職務を使命とし、先の方々の思いを決して無駄にはせず自分の胸に刻み、今後は、どんなことがあっても全力で乗り越えて行きます。

 

【警察学校生の感想】

 大東亜戦争、私にはまったく関係の無いことで既に終わったことだと深く考えた事などありませんでした。60年以上も前のことで、詳しく教えてくれる人もいなかったので、戦争に関する知識は少ないとおもいます。中学・高校の歴史の授業でもわかりやすく教えてもらえなかったので、自分から学ぼうともしませんでした。

 今回の講話は今年下半期で一番心を動かされたものでした。当時、私と同年代の青年がどのような心境で生きて、そして国のために死んでいったのか、初めて触れた気がします。

 林市造さんが母に残した手紙は、読めば読むほど涙が出てきます。母を思う林さんの気持ちに共感できるからです。たとえ、二十歳を超えて成人したとしても母は母、子供は子供です。母と子の繋がりは、どんなことがあっても切れることはないと思います。昔、私は母から言われたことがあります。「何があっても、お母さんより先に死なないで。お母さんを残して天国へ行かないでね。」と、母は幼い私に言いました。親を残して死ぬことほど親不孝なことはないと言いますが、林市造さんたちは国のために誇りと使命感を持って母と別れ戦場へ行きました。とても辛かったことでしょう。残された母親だって、すごく辛かったと思います。講話を聴いて、家族に会いたくなりました。 

 

 林市造さんたちのような大和魂が私にもあるのなら、きっと宮城県の治安維持に貢献できると思います。常にまっすぐに前を向いて、自分を律して恥じることのない警察人生を過ごしたいと思います。