消え去りかけし靖国を、命をかけて取りとめし
落語、講談とともに「日本三大話芸」とされた浪曲。明治以降から昭和へと隆盛期が続き、レコード化されれば大ヒット。特に戦後はラジオ浪曲がブームとなり、芸能界長者番付の上位10人の中に浪曲師が3名も入るほどの人気ぶりだった。銭湯の湯船に浸かって広沢虎造の「旅行けば~」の一節をうなる場面のコマーシャルに覚えのある方も多いことだろう。
靖國神社の春秋例大祭と7月のみたままつりには、欠かすこと無く日本浪曲協会から演者と三味線の曲師が派遣されて、境内の能楽堂で浪曲が奉納されている。その世話役が東屋幸楽師匠だった。演者は変われど、毎回毎回幸楽師匠はやってくる。ある年の秋季例大祭のことだった。その日は朝からの雨で、境内の参拝者もまばらな中、浪曲の出番となった。能楽堂の橋がかり脇にある控え間の小窓から外を覗くと、客席に人影はない。「誰もいないけど、やるのかい」、浪曲師の問いかけに幸楽師匠はこう応えるのだった。「やっていれば、そのうち人は来るよ。何より神様が見ていてくれる。」人情噺の一場面を見たようで、忘れられない出来事だった。その幸楽師匠から、「靖国を護った男」と題された浪曲があることを教えてもらう。すぐにレコードを手に入れて、カセットテープに録音した。その内容に身の震えるような感動を覚えたのだった。
次男をニューギニア戦線で亡くした明比忠之氏は、マッカーサー元帥が靖国神社を取り潰す命令を日本政府に下したと聞き、政府に取り止める力がなければ、自分が命をかけて元帥に翻意願おうと決心した。昭和20年12月23日、皇居前第一生命館の占領軍総司令部に赴き元帥に面会を求めたが、日本政府の紹介もない一民間人に許される訳がない。遂に明比氏は、玄関払いをするMPを払いのけ、強引に総司令部に入り込む。制止命令に従わぬ不法侵入者として二発の銃弾を足に受けたが、その騒動により面会がかなう事となる。傷口から流れる血で衣服を真っ赤に染めながら、「靖国神社は、貴方の国でいう無名戦士の墓なのだ」「庶民の父や母、妻や兄弟の心の中に生きている靖国神社を取払えば、占領政策はうまくいかないだろう」と訴える明比氏の言葉は、遂に元帥の心を動かすこととなり、靖国神社は救われた、という話であった。
内容の概要にとどめず、そのすべてを文字として記録しておくべきだろうとの思いに漸く至るも、今やカセットテープを再生する機材も手元に無く、購入して文字起こしを始めた。声が聞き取れずに、不明なところも少しあるが大方は文字にすることが出来た。
相当長い読み物となるので、2回に分けて記したい。戦後、この浪曲を聞いて「そうだよな、そうだったな。」と相づちを打つ当時の日本人の様子を思い浮かべてもらえれば有難いと思っている。
浪曲貴重盤/わかの浦孤舟,曲師 東家みさ子/靖国を護った男 (野瀬為捕作,野口甫堂)
太平洋の波高く 空に炎の渦が巻く はかなく散るや梅の花 英魂不滅の熱情を
ただ一朝の仇夢に 消え去りかけし靖国を 命をかけて取りとめし
鬼神も泣かす感激は ああ益荒男の影清し
時は昭和20年12月23日の午後3時頃、宮城前の第一生命館の屋上に、燦と輝くのはアメリカの星条旗であります。マッカーサー元帥は進駐以降、占領政策の一つとして、靖国神社は軍国主義の温床だから、一週間以内に取り潰せという、時の政府に命令を下しました。政府は涙を呑んで九段の靖国に社を取り潰しにかかった時、元陸軍大将鈴木貫太郎閣下よりこの話を聞いた武蔵野女子学院の校長明比忠之氏は、政府に取り止めの力がなければ、自分が取り止めようと決しました。
教え子の鄭青年を連れまして司令部に静かに近寄り、
「お願い致します。お願い致しましょう。」
受付にいました七、八人のMPの中で日本語がわかる曹長が応対にでました。
「ハロー、私は都下武蔵野吉祥寺に住んでおります、姓は明比、名は忠之と申します。司令官閣下にお目にかかり、ご相談を致したいことがあり、又お願い致したいことがありして参りました。宜しく、お取り次ぎお願い致します。」
「貴方、日本政府の手続きを経て来たのでありますか。」
「いや、手続きなどは致しません。」
「では、この司令部から貴方に、来てくれという招待状でもいったのですか。」
「いや、そういうことではなく私個人の問題ではありません。日本全部の戦争遺族の代表として参ったんです。ことは重大事件なんです。宜しく、曲げてもお取り次ぎが願いたいのです。」
「ノーノー、日本政府の手続きもなく、司令部からの招待状もなく、貴方独断の面会、断じて出来ません。元帥閣下大変多忙であります。帰りなさい帰りなさい。」
「そうでもありましょうが、曲げてもお願いしたいのです。ことは緊急を要する重大事件であります。」
「ノーノー、出来ません。」
あとをも見ずに控え所に入る。取り残されて顔見合わせて
「鄭君、駄目ダアー。こうなれば約束通り、私が倒れても、かならず君は止まるじゃないぞ。いいか。鄭君、行くぞ」
目で知らせますと、鏡の如く磨き上げたる大理石の床の上、脱兎の如くダッダッダダッタ、階段に足がかかった。トントントントン、続いて鄭青年も駆け上がる。驚いたのがMPです。やったら大変、不法侵入。
「ストップーストップー」
三回呼んで止まらない時には、撃ち殺せという命令であります。三回呼んでみたが止まりませんから、MPの銃剣が火を吐いた。同時にドーン、先生右足首を貫かれた。
明比「アッ」
鄭「先生、しっかりしてください。大丈夫ですか先生。」
明比「ウム、大丈夫だ。傷は軽症だ。わしにかまわず、君は行って元帥に会うんだ。部屋はたしか五階と聞いた。頼むぞ。」
右の足から一筋の血潮の糸をひきながら、びっこひきひき階段にまたも放った一弾は、ズドーン。同じく右の太ももに貫通した。一発ならず二発まで身に受けたんですからいかな
気丈の先生とてたまりません。後ろにどうっと打ち倒れ、MPをはったとなめつけて、
「ウヌッ、やったなッ、サー殺せ、此の息の根の通っている間は、俺は行くんだ、サー殺せ」
なお、ゾロゾロとはい上がる。驚いたMPやったら大変だ、中で一人の獰猛なMPが、ヨウシッ、俺が引導渡してやろう。タンタンタンと駆け上がってきた。先生との距離わずか一尺、ピタリと先生の胸元に拳銃が合わされた。いまが最期だ。三発目引かんとした間一髪、一声高く張り上げて、
「その日本人を殺してはならん、司令官室までつれてこい。元帥閣下の命令だ。」
と声がかかった。 つづく
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