26、靖国を護った男 その2

「靖国を護った男 わかの浦孤舟」レコード
「靖国を護った男 わかの浦孤舟」レコード

♫ 天の助けか神の声  あやうく命を取りとめて  

MP肩に支えられ  連れられきたのが司令室 ♫

 

通訳二名を従えて悠然と座るマッカーサー元帥。鷹のような目でグーッと睨めつけていましたが、通訳を通じて、君は日本の軍人であるかと言う。第一番の質問に対し、血に染まった明比先生。

明比「私は軍人ではありません。武蔵野で女子学院を経営しております。明比忠之と申します。これに居りまするは台湾人の留学生、鄭と言う者であります。閣下にお聞きしたい。またお尋ねしたいことが有りまして参りました。無礼をもかえりみず直訴に至ったのであります。承りますれば、閣下は九段の靖国神社を、お取り潰しになると言うことを政府に命令をなすったとのことでありますが、これは事実でございましょうか。」

マ「イエス、日本の靖国神社は軍国主義であります。その所以をもって、一週間以内に取り潰せと命令をしました。残りはあと三日です。九段の靖国の社は跡形も無く、なくなるでしょう。」

明比「それがために参りました。靖国神社をお取り潰しになるということは、遺族全部の心の支えを、取り除くことになるでしょう。遺族の墓場でもある靖国です。それをお取り潰しになれば、遺族全体の心はどんなになるでしょうか。私、命にかけて、これはお取り潰しを御中止願いたいです。お願い致します。」

マ「黙りなさい。占領国は占領軍が政策をする、日本人の口出しは断じて出来ない。反対する者があれば、十年以上の重労働を申しつけます。貴方年寄りだ。罪は許します。だが、傷を受けているようだから、いいから帰りなさい。」

三発撃ち抜かれた上に、反対をすれば十年以上の重労働というのですから、ここじゃあ大概帰るとこだが、命をかけて来た明比先生。このくらいのことでは帰らない。元帥をはったとにらみつけ、傷の痛みも何処にやら別人のようになって元帥をグイとにらみつけて、一声高く張り上げて

「ばかやろうーッ」

さあ、驚いたのが通訳の二人です。人もあろうに時のマッカーサー元帥に「ばかやろう」とは、よく言えた。このまま通訳をしていいのか悪いのか、顔見合わせてどもりながらに通訳をする。

明比「貴方は立派な軍人であり、正しい政策をなさる偉い人であるということは聞いてはまいりましたが、聞くと見るとは大違いだ。占領国の日本だから占領軍の支配下であるくらいのことは、私よく心得ております。靖国神社を取り潰せば、日本全部の戦争遺族のうらみは貴方の上に集中しますぞ。別してアメリカと日本との間が困難に陥ることは火を見るより明らかでしょう。元帥、一つ貴方にお尋ねをしたい。アメリカに無名戦士の墓があるということを聞いておりますが、此は事実のことでありますか。」

マ「イエス、アメリカにあります。」

明比「では、その墓は軍国主義の墓ですか。まさか、そうではないでしょう。アメリカの国民のひとりとして、軍隊という鎖に繋がれて、戦場に送り出され苦難の道にジャングルに敵弾に哀れに死んだ兵隊をアメリカがおまつりしたのが、無名戦士の墓でしょう。まさか、アメリカの高官貴族ブルジョアをまつった訳ではないでしょう。」

マ「イエス」

明比「ではどうして、日本の靖国神社だけが軍国主義でありますか。日本の靖国神社とアメリカの無名戦士の墓と、国と名称は変わっていても意義に変わりはないはずですぞ。」

 

靖国神社のその奥に  静かに眠るみたまには  貧しい中に妻と子を  

残して死んだ父もあり  たった一人の母親をあとに 異国の野に山に  

死んだ子もあり孫もあり  御国ためじゃと思もやこそ  ただ一枚の葉書にて

すべてを捨てて戦いに  涙で越える山や河  海で死んだる人もあり 

山で斃れる方もある  食わず飲まずで餓死する人  押されがちなる戦いは

しばし安ろう塹壕の  まぶたの裏に焼き付いた  遠き日本の父や母  

真っ先駆けて戦いの  死んで初めて安らかに眠るところが  靖国じゃ

我が子と親と兄弟と  骸は消えても心と心  結び合わせたたましいが

社の前にぬかづけば  必ず遺族のものと会えるという  深き信念あればこそ

北海道や九州から  交通不便の僻村から  孫の手ひいてじじとばば

はるばる上る東京の  玉砂利踏んで大鳥居

 

せがれ、お前はここに眠っているのじゃのお。別れるときに、私が死んだら靖国に来て下さいと言った言葉は、わたしゃ忘れんぞ。やっとのことで、今来ましたのじゃ。見えるか、よく見ておくれ。孫も、お前こんなに大きゅうなりました。これ、ここにお父っさんがござるんじゃ。ほれ、おとっつあんと呼べ。大きな声でおとっつあんと呼んでくれ。行き交うお方に物言うよ、会えると信じて参拝する、遺族の立派な一つの宗教です。かねて、ポツダム宣言に日本の宗教認めると誓った条文はホゴなのか。真っ暗闇の敗戦国、服従だらけのその中に、遺族の心にただ一つひかり放つは靖国です。それを潰すは、死人に鞭。非道極まる政策は、やめてくださいお願いです。

声はいつしか激情の、嵐を呼んで雨となり、頬につたわり涙の露がぬぐい切れずに元帥の前にハラハラ時雨れ落つ。国と人種は違えども、情けは同じマッカーサー。青い瞳のその中に、にじみ出ました銀の玉。

 

マ「よくわかりました。明比さん、貴方の注意がなかったら、私は大きなミスをするところでした。すぐに通知を出します。靖国神社を永久に保存するようにしますれば、安心なさい。明比ミスター、貴方の言葉おおいに助かりました。ありがとう。」

 

大きな腕を差し伸べて、握手もとめて司令官。その手をかたく握りしめ

 

明比「元帥閣下、ありがとうございました。」

 

かくして、靖国の社に七年ぶりによみがえる、その大祭の楽の音は千古未来にこだまして、菊の香りも馥郁と万代輝く九段坂。

  

令和2年、「靖国を護った男」が口演された

 令和2年師走、浪曲木馬亭定席において、イエス玉川師匠が「靖国を護った男」を口演されたという記事をネットで見つけた。

浪曲には戦争物として、「召集令」・「杉野兵曹長の妻」・「肉弾三勇士」・「大阪大空襲」・「玉砕硫黄島」・「ひめゆりの塔」などがあり、「九段の母」や「岸壁の母」なども含めて実に多くの演目がある。しかし、二葉百合子さんの「岸壁の母」を除けば、ほとんど口演されることはなくなっていた。靖国神社が国際的な政治問題とされたことや、戦争美談を排除しようとする放送コードへの忖度もいまだに続いている中で、イエス玉川師匠が「靖国神社を護った男」を熱演したとの記事は、実に嬉しいものだった。

「本稿その1」で記した東屋幸楽師匠の「やっていれば、そのうち人は来るよ。何より神様が見ていてくれる。」の下りを再録すると、

 

靖國神社の春・秋例大祭と7月のみたままつりには、欠かすこと無く日本浪曲協会から演者と三味線の曲師が派遣されて、境内の能楽堂で浪曲が奉納されている。その世話役が東屋幸楽師匠だった。演者は変われど毎回毎回幸楽師匠はやってくる。ある年の秋季例大祭のことだった。その日は朝からの雨で、境内の参拝者もまばらな中、浪曲の出番となった。能楽堂の橋がかり脇の小窓から外を覗くと人影もない。「誰もいないけど、やるのかい。」、浪曲師の問いかけに幸楽師匠は、「やっていれば、そのうち人は来るよ。何より神様が見ていてくれる。」人情噺の一場面を見たようで、忘れられない出来事だった。

 

 「そうだ、そうだ」と心底共感できる内容だったからこそ、玉川師匠は批判などなんぼのものか、そんな心意気で舞台に上がったのだろう。

「何より神様が見ているよ。」

雨の中、無人の客席に向かって熱演した演者への励ましと、同じものを玉川師匠が受けていたように思う。

 

 

幸楽師匠の、あの声が届いていたに違いない。