30、鏡は我が母

須賀芳宗さんの遺品「鏡入れ」
須賀芳宗さんの遺品「鏡入れ」
須賀芳宗さんの遺書
須賀芳宗さんの遺書

日の出前の薄明かりの中を敵艦へと突っ込んで行く時、鏡に映る自分の顔から母の面影を見ていた 

 

  靖国神社内苑の桜の中では、気象庁が桜の開花や満開を観測するための標本木となっているものが有名だが、戦友会や戦没者遺族によって植樹された桜も多くある。

能楽堂前の桜の中に、須賀芳宗さんの遺族が献木した桜があった。

 須賀芳宗さんは、立教大学から学徒出陣。母から贈られた鏡を持って横須賀海兵団へ入隊している。芳宗さんは母親にうり二つで、鏡に映る自分の顔を見るたびに母の面影を想っていた。だからこそ、

「中の鏡は沖縄へ持って行かせて頂きます

 母上様             芳宗」

この短い遺書と、裏蓋に「我が母」と記された鏡入れだけの遺品で、母と子は心を通わすことができたのだった。

 昭和36年6月29日、靖国神社御創立記念日にあたり「雲」という題にて募集された短歌の中から、妹八重子さんの短歌は選に預かり兄芳宗さんへ献詠披講されている。

  「特攻基地出でしは四時てふ兄の機よ 夕やけ雲に染みてゆきしか」

 鹿児島県串良の基地を夕方4時ころに出撃していった兄の飛行機が、夕焼け雲に赤く染まっていっただろうことを思い浮かべて、帰ることのない兄を偲んでいる。

しかし、妹さんの思いは鏡を覗く兄にも及んでいるように思う。

沖縄の洋上に集結していた米国艦隊への特攻作戦は、夜が明けきらぬ時間帯に決行のため、鹿児島の基地を出撃する時刻は午後4時ころであった。やがて日は沈み暗闇の海の上を沖縄目指して飛んで行く。最低限の燃料で速度は上げられず静かにひたすら、自らの死に場所となる沖縄へと飛んで行くのである。

そして、日の出前の薄明かりの中を敵艦へと突っ込んで行く。その時に、兄は「持っていった鏡」を覗いたのではないか、いや、鏡に映る自分の顔から母の面影を見ていたに違いない。

 

鏡だけを持って出撃していった兄に捧げられた桜の木は、八重桜であった。母と兄の思い、そして妹八重子さん自身の思いが込められた桜の木である。

 

参考引用「いざさらば我はみくにの山桜」 展転社 平成6年