40、東日本大震災殉職警察官と戦没者

 平成26526日、1240分迎えの車にて宮城県警本部へ。緊張感をもって7階の教養課へ、課長以下に挨拶。同じフロアーにある会議室で「国を思う気持ち」と題して90分間の講話。この時、東日本大震災より32ヶ月。未曾有の大災害に立ち向かい地域の安全と秩序を守り抜いてきた宮城県警幹部17名に対して、使命感を語ることになった。この大災害で、避難誘導などの警察活動中に津波に襲われた宮城県警の警察官9名が殉職。3月末の新聞紙上で、名前と顔写真が公表される。お一人お一人の氏名を、手元にある警察学校生の感想文に記された1000名以上の名前と照合。3名の名前が一致したのだった。私は、殉職者の名前が記された感想文を読み返した時の切なさ悲しみを、やっとの思いで日記に残しているが、発信するにはまだまだ時が必要だった。胸中に、斯様な思いを抱えながら戦没者を語るうち、こみ上げてくるもので言葉に詰まりかけ、思わず史料から目を上げると、鬼のような強面の幹部たちの目に涙、拳でそれを拭っているではないか。我も一層胸が熱くなり、涙が流れた。後日、聴講の感想文が警務部教養課より送られてきた。その中から6篇を、3回に分けて発信する。お読みいただきたい。

 日本の警察官であることに、やはり誇りを感じます

 本講義を受講して受けた印象は、「覚悟の壮絶さ」でした。

 太平洋戦争時の特攻隊員や従軍看護婦の遺書、日記等をまじえながら大事における心構えや覚悟といったものが次々と紹介されたと思います。

 さて、私たち警察官の業務においても、この覚悟が必要とされる時があります。それは、事件の着手、施策の立案、諸幹部が列席する会議での報告、難しい案件の決裁など、様々な業務における指揮の中で決断という行動の裏に「覚悟」の二文字が隠されています。

 確信がなく、自分の心の中に疑心が生じれば、その覚悟は苦渋のものとなります。逆に、自信や確信が裏打ちされた実行には、あまり覚悟が必要とされません。勿論、我々の業務の大半は、講話のような死と背中合わせの場面にほど遠いものがほとんどではありますが、それでも覚悟へと至る強い精神力は同じと思います。そして、この強い精神力こそが平素の自己鍛錬から生み出される産物とも思い至るわけであります。

 平素の自己鍛錬とは何か。難しい答えに突き当たる訳でありますが、経験することとよく考えることではないかと思います。

 その一例として、最早3年目になろうとする東日本大震災。

3月11日午後240分を迎えた直後のあの瞬間、多くの警察官が自分自身の中で一つの覚悟を持ったと思います。

そして、午後4時前後の大津波の到来と共に、各自が持った覚悟は、現実味を持って行きました。あの時、我々警察官の前に展開されたのは、目を背けたくなるほどの惨状だったはずです。その修羅場の中で、黙々と警察活動を続けてきた我々警察官には、やはり「覚悟」は残っていたのだと思います。昨今、韓国における客船沈没事故の有様をテレビニュースで垣間見て、あの311の惨状での警察官を思い起こす都度、私は、日本人であること、日本の警察官であることに、やはり誇りを感じます。誰も逃げなかったし、誰も後ろ指をさされることはなかったのですから。

 

 さて、講話で聞いた英霊たちの最後の姿に思いを馳せ、その魂の重さをもう一度、自分なりによく見つめ直し、残された自分自身の「警察官という職業人としての人生」を、いかに生涯で意義あるものに昇華して行くかを今後の課題にしたいと感じた次第です。

サラリーマン化している自分が少なからずあった

1、国民の未来を思い戦死した英霊

初めて靖國神社を参拝したのは数年前のことだった。遊就館では、特攻隊員らが家族に宛てた多数の手紙や遺品、人間魚雷「回天」などを目にして、大戦当時の生々しさを肌で感じたのを今でも覚えている。

 評論家の中には、多くの学徒が「お国のために喜んで死地に赴いた」などと、あたかも天皇崇拝という妄信的な心理状態にあったかのように評する者もいるが、果たして特攻隊員等が残した手紙を見てどう感じているのか、甚だ疑問であり怒りさえ覚える。特攻隊員となった学徒は、召集を知った日から近い将来における自らの死を強制的に覚悟せざるを得なかったのであり、刻々と近づく死を意識しながら厳しい訓練に臨んでいたに違いなく、その恐怖は言葉で表せるものではなく、想像を絶する忍耐が要求されただろう。

 家族への手紙の数々は、死に対する恐怖に耐え続けそれを克服しようと努力した最後の最後に、残される家族の幸福と国の繁栄を願って書き綴った遺書である。自らもまだまだ生き続けたいという気持ちを必死に押し殺してのものだった。

 私たちが享有している平和な生活は、迫り来る死と必死に格闘した多くの英霊たちによってもたらされたものであることを忘れてはならないと思う。

2、県民のための警察官であるために

 若くして国のために散った多くの英霊の思いを無駄にしないために、今を生きる私たちがやるべきことは何か、警察官としてどうあるべきなのかを真剣に考える必要がある。全体の奉仕者として、どれだけ真剣に職務に専念しているだろうか。サラリーマン化していないだろうか。県民のために、まだまだやれることはあるのではないだろうか。若くして迫り来る死と必死に格闘した英霊を思えば、私たちはサラリーマンではいられないはずだ。

 犯罪は、複雑化・巧妙化の一途をたどっており、捜査も困難化しているとはいえ、まだまだ私たちは、死を覚悟するほどに職務に精励していないのではないだろうか。県民のために何が出来るのか、何をしなければならないのか。必死に知恵を出し、それを実行していくことが私たちの使命である。

 

 今回ノ研修で率直に感じたことは、自分はまだまだやるべきことをやっていないということであった。サラリーマン化している自分が少なからずあったところ、自らの使命は何かを思い起こさせる貴重な機会を得たと感じている。