41、警察幹部の感想 つづき1

武士道というDNA

 

 今回の講話を受講して、なぜか胸が熱くなるのを覚えました。日本という国と日本人という民族に誇りを持つために、これまで先人たちが命をかけて守り抜いてきたことを聞き、そのことを思い浮かべるとそうなるのです。

 我々日本人には、副意識の中に「武士道」、つまり、心の中に存在する「武士道」というDNAを持っているということが理解できました。このDNAが、無意識に私の胸を熱くしたのではないでしょうか。日本人には「我慢強い」とか「礼儀を重んじる」などという他の国とは違うDNAがあるように感じられます。それは、東日本大震災の時の避難所での生活を見ればわかるように、当時の私たちは必死に耐えて生きようとしていました。他の国の人々は、そのような私達日本人の姿を見て、秩序ある行動や我慢強さに感銘を受け賞賛したと聞きました。

 日本の隣では、同じ民族でありながら敵対している国があります。その国ではフェリー沈没事故の際に、悲しみと怒りの矛先を政府や救助隊に向けるなど、日本人では考えられない行動をとっていました。また、他の国では大地震などの自然災害に見舞われた時など、民衆が暴徒化して商店を襲い商品を略奪する光景を幾度か見たことがあります。日本では、このようなことは記憶に無いことですし、見たこともありません。これは、他の国の民族にない「武士道」というDNAを日本人が心の中に持っているからだと思うのです。

 ところで、講話の中において慶應義塾大学の小泉信三塾長が戦場へ赴く息子に対して、「国のために命を捧げなさい」という内容の手紙を書いておりました。自分は、小泉学長と同じような手紙を書くことができるだろうかと自問しました。まず、書くことはできないでしょう。どこの親でも、自分の子どもは無事に帰ってきてほしいと願うのが本音だと思います。親が子どもに対して、「国のために命を捧げなさい」と言うことなど、戦争当時の状況を考えても私には理解の出来ないことでした。小泉塾長の心の中を読むことはできませんが、彼の本音としては、「生きて無事に帰ってきてほしい」と、思っていたのではないでしょうか。それを言葉に出さないのが当時の日本人であり、「武士道」だったのでないのかと感じております。

 当時の社会を取り巻く情勢と今日の情勢は劇的に変化しており、日本人の考え方も変化していますが、日本人の心の中の「武士道」というDNAが存在していることは事実であり、

今後も変わること無く受け継がれてゆくと思います。

 

 私も、日本人として、心の中の『武士道』を仕事の面においても私生活の面においても、大切にしていきたいと思っております。

時代が離れてもいないのに、無くしてしまった何か

 

戦争の最中にあって書かれた手紙や日記を切々として説明してもらった。

 私たちが見たり聞いたりしていることは、真実の断片でしかないかも知れないが、私も子の親、死にゆく子からの手紙の朗読を聞いて、素直に涙腺が緩んでしまった。今夏の講話は、「国を思う気持ち」という演題で、靖國神社に祀られている英霊の手紙や日記、写真などを紹介し、その内容やその時の状況の詳細な説明で、講師は当時の国家観を説き、また特攻隊員が母親に宛てた手紙の説明でも日本人としての人生観を説いていた。戦後生まれの私にとって、戦争は身近に感じたことがないため、あまりピンとこない。しかし、4年ほど前に靖國神社参拝の折、併設されている遊就館に入館し感じた気持ちは、自分でもわからないくらい興奮した。それは、ただ感動ということでなく、まさしく当時の日本人の心に触れたようなものだった。そんなに時代が離れてもいないのに無くしてしまった何かを問われたように感じた。

 アメリカ人が日本軍人を賞賛した文章の中で、道徳としてのサムライの道・武士道を挙げている。人のために尽くすことが国のためになるとの精神を讃えたのではないか。

 今回の講話の根底には、忘れられていた日本人として、公務員として警察職員としての人生観を再認識して、その職務と人生をまっとうしてほしいと言う気持ちが込められていたように感じた。

 

 職務倫理の基本に、「誇りと使命感を持って国家と国民に奉仕すること」がある。国への忠誠とは意味が違うが、まさに我々はこの職務倫理を基本とした理念を念頭に全力で邁進していくことが肝要であると痛感した。 つづき2