佐久間艇長に見る幹部の責任感
はじめに、人は様々な考えや思いを抱いているが、私は、現在の豊かな国「日本」があるのは、過去の先人達が当時の日本という国のあり方を考え一所懸命に生きてこられたからこそだと思う。
その先人達の心の中には、常に正しい生き方と正しい死に方、つまり「武士道」という考え方があったのだと思う。現代の人に「武士道」という考えがどれほど浸透し理解されているのかは不明であるが、本講義を受講し私は少なからず胸が熱くなり、かつ一人一人の英霊に対して敬意を表さずにはいられなかった。
私は、これまで英霊の方々の話を何度も聞いていたが、今回ノ講義で初めて知り心に残った方がいる。それは、佐久間艇長である。
浮上することの出来ない潜水艦の中で、佐久間艇長は司令場所で指揮を執り乗組員は持ち場を離れずに絶命した。それぞれが自分の持ち場で、最後まで任務を遂行しながら命を絶ったのである。そこには、死に対する計り知れない恐怖があったであろうが、艇長指揮の下、皆が任務をまっとうするという一つの思いがあったからこその結果であり、それは皆の使命感によるものだったと思う。
まさに、武士道でいう
「決して命を粗末にすることなく、死なねばならない時に、誇りを捨てて不正義の中に生きることを望まず、いつでも死ねる勇気を持つことは、正義の中で生きることを証明する。」、につながるものと思う。
また、佐久間艇長の遺書には、幹部として部下を死なせたことへの謝罪や今後の潜水艇の発展に関することが記載されており、まさに幹部上司としての責任感の強さや今後の組織への強い思いが感じられる。佐久間艇長のことを聞きながら、私は東日本大震災で対応した当時のこと思っていた。当時の警察職員は、だれもが未曾有の惨事に対して、辛く悲しくとも心を一つにし立ち向かった。これもまた、一人一人が警察職員としての強い使命感によるものだったと思う。それを絶対に忘れてはいけない。
終わりに、現代の社会情勢は常に変化し、それに伴い人の考え方も変わり続けている。そのような中でも、警察職員の「使命感と誇り」は、絶対に変わってはいけない唯一のものである。
警察官の命は、県民の命を救うための命であり、幹部はその警察官の命に責任を持たなければならない。だからこそ、幹部として正しい知識を身につけ判断力を養い、自信を持った決断をしなければならないと考える。そのために、今後の研修に対して真摯に取り組み、幹部としての資質、管理能力の向上に努めて行きたい。
階級は、指導と垂範そして責任を負うために存在する
「国を思う気持ち」と題した講演をいただき、靖國神社の英霊の遺書等から、これから人生の楽しさ等を味わうことのできるはずの若者達が国と家族を護る一心で、自身の命を捧げたことに対し、日本人として敬服するほかないと感じた。
講演の中で、
〇 便所掃除を躊躇する部下を尻目に、爪で汚れをすり落として部下に模範を示し、部下を命懸けで護った~広瀬中尉
〇 学徒出陣した特攻隊員が素直な気持ちの手紙を母へ送った~林市造さん
〇 特攻出撃前、死するまで精進すべきと日記に記した~市島保男さん
遺書からは家族への愛情が十分に感じ取れた。今、日本人として何不自由なく暮らしていけるのも、これらの英霊のおかげであることに感謝しなければならない。
私も日本人として、愛国心は人一倍あると自負しているが、当時、自分がこの戦火の中でこのような勇気ある行動がとれたかは疑問である。
ある記事で、神風特攻を命令した大西中将は、「特攻隊で戦況が挽回できるのか?」と質問した記者に対し、「日本が滅びるかどうかの瀬戸際にきて、この戦争は勝てぬかもしれぬ。しかし、青年たちが国難に殉じて、いかに戦ったかという歴史を記憶する限り、日本と日本人は滅びない。」と、答えたそうである。日本の将来を案じながらも、「武士道精神」が継承され日本が繁栄することを信じていたのである。
私たち日本人は、あの甚大な被害をもたらした東日本大震災の中にあっても、冷静で品格ある行動をしたと海外から絶賛されたことから裏付けられるように、日本の古来から「武士道精神」を受け継いでいると思う。
我々幹部は、土田國保元警視総監の「幹部の心構え」の通り「階級は、指導と垂範そして責任を負うために存在する」ということを、ひとときも忘れず、出世欲に駆られ組織に埋もれることなく「武士道精神」を堅持し、英霊の尊い精神を踏みにじらないように、國と国民を護る「世直しサムライ」として、真のプロ集団を作り上げていかなければならない。
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