同窓生戦没者への追悼、日米大学の相違
学徒出陣50年に当たる平成5年、全国272校の私立大学の学長・総長は、かつて大学が出陣学徒を歓呼の声で送り出したことについて反省する共同声明を発表。これに対し、関西大学の谷沢永一教授は、「学徒出陣にのった総長二七二人」と題する意見を『新潮45』(平成5年2月号)に掲載し、ただちに反論している。
「昭和18年は日本がいまだかつて体験したことの無い非常時であった。学徒出陣はせっぱつまった国家のやむをえない要請であった。当時にあって国内のどこのなんびとが学徒出陣という政府の決定に抵抗しえただろうか。国家に反嗟するなんて、そんなことは絶対に不可能であった。そのとき学長の職にあった者なら誰でも、率先して勇ましく学徒を励まし、りんりんとして壮行会を催さなければならなかった。それが歴史の真実というものである。
当時の学長たちを今になって責めるのは理不尽である。当時の学長たちを責める権利は現代の我々の誰にもない。
よく現代人達は、結果論として、あの当時の学長達は何をしたんだ。何故反対しなかったか。こういいますが、とんでもない。歴史の真実というものは、国家に反嗟するなんてもっての外だったんだ。
思えば戦後の半世紀近く、我が国の言論人のほとんどは、過去の日本人に悪罵を放つことにもっばらであった。もちろん冷静に見て批判すべきところがあれば、情理を尽くして検討すべきであろう。しかし言論人たちの実態はそうではなかった。自分たちの正真正銘の先祖を責め罵ることで、後世のみずからは正しいのである立派なのであると売りこんだのだ。歴史上の日本人を貶める罵詈雑言によって、自分を高みに押しあげるという詐術である。」
又、事実として米国は、日本より1年半も前に学徒出陣を行っている。
米国政府の要望に応えて、直ちに60の大学が起ち上がり、数千名の学徒が専ら空軍に入隊。対日空軍戦略の一翼を担った。更には、毎年適齢学徒を送り出し、その総数は数万名にも及ぶ。民主主義の本山たる米国において、学徒は勇んで国難に赴いている。そして、米国の各大学にあっては、同窓戦没者をキャンパス内の慰霊碑において慰霊顕彰しているのだ。果たして、日本の大学はどうか。
この声明に賛同した学長達に聞いてみたい。「過去を現在の尺度で、解釈する権利はないのではありませんか。同窓戦没者を悼む施設やその機会は、あなたの大学にありますか。」と。
【参考】 当時の慶應義塾小泉信三学長が、出征する塾生へ宛てた手紙を読んで頂きたい。ブログ・kokorohurihure 「13、小泉学長から古谷さんへの手紙」
その一部を紹介致します。
「国民の一人として感謝の言葉もありません。僕は永久に君の名を忘れません。また君を養育なされた御両親様を衷心より尊敬申し上げます。人の子としてこれほどの親孝行はないと思ひます。どうか心安く、また心静かに十分の働きをなされ、君国のために御尽くし下さるやう心から祈ります。慶應義塾は君のやうな方を出したことを誇りとします。」
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