48、モスクワっ子の東京印象記

 胸がかきむしられるような響きで、思わず涙がこぼれた

 

ソ連崩壊から3年に満たぬ1994年(平成6年)、雑誌「東京人」2月号に「モスクワっ子の東京印象記」という記事が載った。このコピーが、手元に残っている。当時、靖國神社遊就館の特別展「学徒出陣50周年―蘇る殉国学徒の至情」の資料としてスクラップしたものだ。ガリーナ・ドゥトゥキナという40代の女性編集者が、30代の日本人女性通訳の質問に答えているインタビュー記事である。その中から、靖國神社のくだりだけを書き抜くと、

 通訳――次に行ったのが靖國神社ですね。

ガリーナ

私が編集した「現代日本女流作家選集」に河野多恵子の「鉄の魚」という短編が収められています。あらすじは、新婚の夫を戦争で亡くした女性が、戦後長い月日が経ってから靖國神社を訪れ、夫の最期の時の心境を理解しようと、人間魚雷の脇で一晩を過ごすというものです。強く心に残っている作品なので、靖國神社は是非とも訪ねてみたかった。行ってみて、神社本殿にはこれといった感慨を覚えませんでしたが、遊就館(付属資料館)からは強烈な印象を受けました。「回天」(人間魚雷)にはもちろんショックを受けましたが、特に印象的だったのは、特攻隊の青年たちの写真が展示されていた会場(注、学徒出陣50周年特別展の会場)です。映画『月光の夏』のスチールが飾られて、ベートーベンのソナタ「月光」が流れていました。「月光」はふつう、単なるロマンチックなメロディにしか聞こえませんが、この時に限っては、胸がかきむしられるような響きで、思わず涙がこぼれてしまいました。

 通訳――靖國神社は特異な歴史をもつ神社ですよね。

ガリーナ

ええ、靖國神社や遊就館の展示物については、侵略戦争を反省しないのはおろか、戦争を美化している、といった批判があるのは知っています。でも私は外国人だからでしょうか、それとは別の見方をします。青年たちは主義主張を実践するために、すすんで前線に赴いたというのではなくて、戦場に送り込まれたんです。「愛国心を鼓舞する」という雰囲気は、まったく感じませんでした。幾多の若者が命を落としたあの戦争は大きな悲劇でした。傷がいまだに癒えない人々がいるというのも分かります。写真に焼き付けられた、死へと旅立つ若者たちの表情は誇り高く気高かった。

 ロシアもナチス・ドイツとの闘いで膨大な数の犠牲者を出しましたが、写真等で見ていた当時のソ連兵士の表情と遊就館で見た日本の兵士の表情はまったく違っていました。日本の若者の顔は、義務を果たそうとしている、勇気ある人々の、悲壮な表情でした。

通訳――戦時中の日本には軍による検閲があって、茫然自失の(てい)の兵士の写真は破棄されたとも聞きますが・・・・。

ガリーナ 

それにしても、民族性と文化の違いは明らかです。大和魂が理解できた、と思いました。青年たちがあんなにも素晴らしい顔をしている日本民族は、強い精神力を持つ民族だ、と改めて実感しました。当時の人々の心理を理解したいと私はかねてから思っていましたので、靖國神社の遊就館を訪れたことで、少しはそれができたと思います。

 

 祖国ソ連の崩壊の有様を、国民の一人としてまた編集者の目を持って見たガリーナ・ドゥトゥキナさんの観察眼は、「死へと旅立つ若者たちの表情は誇り高く気高かった」・「青年たちがあんなにも素晴らしい顔をしている日本民族は、強い精神力を持つ民族だ」など、実に鋭く本質を捉えている。それに比べて、日本人通訳の質問は、当時のマスコミの戦争否定を絶対とする立場そのもので、祖国否定の言葉をたしなめられてしまっている。祖国崩壊の事態が、どれほどの価値観や思想の転換をもたらすか。それを、肌身で経験してきたガリーナさんと、平和な日本に暮らす通訳とでは、国家や民族に対する意識の差は大きくて当然なのかも知れない。

 

ガリーナさんは特に印象を強くした学徒出陣50周年特別展について、『ベートーベンのソナタ「月光」が流れていました。「月光」はふつう、単なるロマンチックなメロディにしか聞こえませんが、この時に限っては、胸がかきむしられるような響きで、思わず涙がこぼれてしまいました。』と、語っている。外国人をして、ここまでの感動を与えた靖國神社遊就館の特別展「学徒出陣50周年―蘇る殉国学徒の至情」は、当時大きな反響を呼んだ。新聞・雑誌・テレビなどでも紹介され、平成5年の713日の開幕から、その年の大晦日の終幕予定日までの拝観者は8万人を数え、会期は翌6815日まで延長されたのだった。つづく