53、戦死した息子への花嫁人形

 戦争で息子をなくした母心の象徴として、島倉千代子さんが歌った「東京だよ、おっ母さん」の歌詞がある。
『やさしかった 兄さんが 田舎のはなしを 聞きたいと 桜の下で さぞかし待つだろ 

おっ母さん あれが あれが 九段坂 逢ったら泣くでしょ 兄さんも』

Kokorohurihureブログ14に記した富澤幸光さんは、遺書にこう綴っている。

『お正月になったら軍服の前にたくさん御馳走をあげて下さい。雑煮餅が一番好きです。ストーブを囲んで幸光の思い出話をするのも間近でせう。靖國神社では、また甲板士官でもして大いに張り切る心算です。母上様、幸光の戦死の報を知っても決して泣いてはなりません。靖國で待っています。きっと来て下さるでせうね。』

 息子の手紙に、母はどれほど泣いたことだろう。悲しみを胸にして、全国各地より戦没者の母は、九段の社を訪ねた。息子が好きだった餅を、おはぎを、庭の柿の実などなど、神前に供えてのお参りだった。
結婚もせず戦死した息子に捧げた花嫁人形

佐藤武一さんの母が、84歳の高齢となり北海道から遠路靖國神社を訪ねた時、結婚することもなく戦死した息子に捧げられた花嫁人形。人形には、母が息子への思いが綴られた手紙が添えられてあった。
『武一よ。貴男は本当に偉かった。 二十三歳の若さで家を出て征く時、今度逢う時は靖國神社へ来て下さいと。雄々しく笑って征った貴男だった。 どんなにきびしく苦しい戦であっただろうか。沖縄の激戦で逝ってしまった貴男。年老いたこの母には、今も二十三歳のままの貴男の面影しかありません。日本男子と産れ妻もめとらず逝ってしまった貴男を想うと、涙新たに胸がつまります。

今日ここに日本一美しい花嫁の桜子さんを貴男に捧げます。私も八十四歳になりましたので、元気で居りましたなら又逢いにきますよ。どうか安らかに眠って下さい。有りがとう。』

kokorohurihureブログ48で紹介したロシア人女性編集者のガリーナ・ドゥトゥキナ氏は、靖國神社で見た花嫁人形が強く印象に残ったと語っている。「ロシアにも戦死者を顕彰する慰霊碑があります。しかし、そこに花嫁人形をお供えする戦死者の母はいません。靖國神社の花嫁人形を観た時、日本の女性のやさしさを強く感じました。」といった内容だった。

 靖國神社にあるすべてのものは、一命を捧げて国を護られた人々を慰霊し顕彰するものである。そこには、遺族や戦友そして戦没者に感謝する人々の思いが込められている。つぶさに歴史を学び、籠められた思いを知ってもらいたい。

【警察学校生の感想】

心の強さを感じた

 もっとも強く印象に残ったのは富沢幸光さんです。その手紙からは、家族への特に母への思いが、とても強く伝わって来ました。自分自身の確実な死を目前にし、気持ちを強く保つのは容易なことではありません。それでも家族の前にも弱い自分を見せずに、家族の心配をするところに心の強さを感じました。彼にとって母の写真は、まさに心の支えだったのだろうと思います。いつでも側に母がいる、これほど心強いことが他にあるでしょうか。私には思いつきません。 私は、両親が別居離婚したことによりずっと母と暮らしてきました。私は、母に沢山の苦労と迷惑をかけました。だからこそ、母の幸せを私は他の誰よりも願います。母の平和と安全を願い、私は公務員その中でも警察官を目指し、一人前の警察官、人の幸せを守る警察官になるため、今ここにいます。母を思う気持ちは、富沢幸光さんの母を思う気持ちと同じです。母の幸せを守るために自らの身を盾にして戦わなければならないのは、私にとっても使命です。そのことで、富沢さんと通じるものを強く感じました。

【警察学校生の感想】

勉強も訓練もこれ位でいいやと考えてしまう

  富澤幸光さんの文章に感銘を受けました。自分がいなくなった後のことを思い、お父上様、お母上様に宛てられた手紙を読み、涙がこぼれました。「私がやらなければ父様母様が死んでしまう。」との一文に胸を打たれました。私はいつもあの子がやっているから、私がやらなくてもいいや、と思いがちでした。しかし、この一文を読み、このままではいけない、私の意識があまりにも低いと痛感しました。今までの私は、勉強も訓練もこれ位でいいやと考えてしまうことがよくありました。特攻隊の方々は死ぬために勉強し訓練し毎日を過ごしていた事を考えると、私には将来があり夢や目標を持つことも出来て、そのために勉強し訓練するのですから、頑張り励む義務があると感じました。 戦時下に生きた人々に支えられ、今の私達がいるのだと思います。その方々の決意や責任感、意識の高さを知ることが出来ました。私も警察官として決意や責任感を持って職務執行にあたりたいと思います。志を新たに勉強や訓練に励み、県民の方々に奉仕していきます。そして、隊員の方々のように家族への感謝を忘れず日々愚痴をこぼさず過ごしたいと思います。