万有同根の一体観
肇国このかた最大の国難時にあっても、日本は昭和天皇のもと分裂することはなかった。
敗戦国の国王は国外に逃亡するか、又は国民によって処刑されることが、世界史の中で繰り返されてきた。しかし、昭和天皇は敗戦後も皇位にあり続ける。この奇跡は、君民一体の我等が国柄「国体」によるものであったことは間違いない。
上下心を一にしてきた日本の国柄。その源は、一体どこにあるのだろうか。
ここに、神道を語りたい。
日本の神道は、神代より神々のそして人の偽りのない真を語ってきている。日本の神話の中には、道義的には悪と断ぜられることも、神によって行われている。その神々の子孫である日本の歴史の中にも善もあれば悪もある。それは一人の人間の中にあっても、状況によって入れ替わる。この点をもって、日本の神道は善悪の対決がないとか、神と人間との違いを語ることもないなど、すべてが未分化で未開のままの宗教であるとキリスト者から批判されてきた。しかし、神道人は、未分化であることこそ「万有同根の一体観」たる日本文化であり、国家と国民が別物であったり対立することのないのが、我が国日本であるとした。
何故ならば、「権利や義務を言う事はなく、もとより報酬を求めないばかりか、時には財産を尽くし、衣食住の欲を絶ち、命までも捧げつくして活動しなければ真の安心は得られない。」と、国事に奔走した先人の歴史を我らは知っているからだ。
昭和の国難の時代に、国民精神を奮起させたのは七生報国の楠公精神であったではないか。幾たびも生死反復して日本人の本性本能を発揮せんと、菊水の紋を描いて人間魚雷「回天」は敵艦撃沈へと出撃したではないか。徳川光圀公が建立した楠公墓碑に額ずきて吉田松陰は至誠を誓ったではないか。日本民族を守護し国を擁護することは止むに止まれぬ日本人たる自性の発揮であったと知らねばならぬ。
この自他一体の心根こそが、君民一体の国柄を導いてきた本源であった。
一体なる真理
キャンベルの言に戻る。(kokorohurihureブログ54番参照)
『ショーペンハウエルの答えはこうです。このような心理的危機は、ある形而上学的な認識、すなわち私と他者は一体である、私と他者とはひとつの生命の二つの外見であって、別々に見えるのは、空間と時間の条件下でしか形を経験できないという知能の限界の反映に過ぎない、という認識、が飛び出してきた結果なのだ。人間の真の実在は、あらゆる生命との一体性と調和のなかにある。』
西洋の賢人によって導き出された真理。その人間の真の実在が国家として顕現しているのが、皇室を戴き分化分裂対立を知らぬ神道精神による我が国日本である。
そのことを、日本人自身が自覚するためにこそ、国史を学ばなければならないと思うのだ。
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