戦勝祈願祭
大東亜戦争開戦より、全国の神社では戦勝祈願祭が行われていた。それは、戦局が激烈になるにつれ昼夜を分かたず米英撃滅を祈願するものとなってゆく。官社に残る記録によれば、昭和19年師走には宮司以下職員半分ずつ参籠して朝と晩に祈願祭を斎行している。初日の祈願祭後には境内に三千人が参集しての市民大会が開催され、以降5日間連続の朝夕の祈願祭での熱禱が捧げられる。満願の最終日には、知事や市長以下市民も祈願祭に参列し、祭典後には天皇陛下の伊勢神宮御親拝の時刻に神宮遙拝式が行われている。
平和な時代しか知らない日本人は、神社で敵国の撃滅祈願祭があった事を知って、どのように考えるだろうか。戦争があった時代のことだし、自分とは関係がないとして、深く考えることもなく聞き流す人が大方かも知れない。しかし、そうであっていいのだろうか。地域の人々が同じ思いで神社に集い、真剣に祈り願った日の記録は、先人の心の記録、郷土の大切な歴史である。だからこそ、しっかりと学び、命がけの祈りの実相を子孫へ伝えなければならないだろう。
ところが、戦いに敗れた日本の価値観は、占領軍による一方的な施策によって、大きく歪められてゆく、その影響は戦後80年になろうとする今も尚、色濃く残っている為に、撃滅祈願祭を奉仕した人々の真情を、後の世代の日本人は理解できなくなってしまった。
戦勝と武運長久を祈願して戦地へ出征し、神国日本を信じて戦死していった郷土の人々。その同胞への思いによっての撃滅祈願祭。その記録を我がこととして、己の胸に問いかけながら読んでこそ、当時の人々の真情が理解でき、郷土の歴史を己に繋がる歴史として考えることができる。
大空の弟
令和5年12月、NHK連続テレビ小説「ブギウギ」で、「大空の弟」という曲が放送された。戦地で死んだ弟を思いながら歌う福来スズ子の歌に深く感動するも、それ以上に泣かされたのは客席にあって娘の歌を聞いている父親の様子だった。息子の遺品となった亀を入れた籠を抱きしめながら涙を流す父。戦没者遺族の心情を代弁した歌詞に、当時多くの国民が泣いたことだろう。しかし、この歌も戦後はお蔵入りとなり忘れ去られた。今回、音源もなかった「大空の弟」をドラマで取り上げる事は、賛否両論が予想され製作現場でも悩ましいことであったろう。私も、放送後の世間の反応を気に懸けていたが、軍歌などを何故放送したのかといった批判も一部あったようだが、大方は当時の戦没者や遺族の心持ちが伝わった感動の声だった。戦時の国民の思いをありのままに作詞した村雨まさをも作曲した服部良一も、占領政策により歪められた日本人の価値観が正されて、いつか再び「大空の弟」が人々に感動を与える日が来ることを信じていたに違いない。
大空の弟(ブギウギver.) 歌・福来スズ子(趣里)
作詞・村雨まさを 作曲・服部良一
かねてより われらを苦しめた 憎い顔した 敵軍ども 日頃鍛えた この腕で
重い小銃 抱え込み ガーンと 突撃しています 〇〇隊にて 六郎より
ラジオや 新聞に もしや六郎の 部隊の名が 書いてないかと
どこにどうして いるのやら いつも〇〇〇部隊 〇〇方面
〇〇隊 〇〇〇ばかりなり 〇〇〇ではわからない
姉さんも 弱い体のお父さんと いつもあなたの お話ばかり
ご親切な隣組の 皆様方の 厚い情けに 守られて
なにひとつ 不自由なこともなく 暮らしています
これもひとえに弟の おかげと思い 姉さんは 遠い戦地を偲ぶこと
厚い感謝に 泣けている
当時の当たり前、歴史の真実
占領政策によって、神社が存亡の危機を迎えていたとき、占領軍による神道への批判に対し、神社人は次のように反論している。
「祖国存亡の危機の時、戦勝を祈るは当然である。そのことを悔いて反省などしない。神社の祈願に誠足らずして惨憺たる敗戦になったと責めれるのであれば承服するが、戦勝祈願したのが悪いと責められることなど受け入れられぬ。」
歴史を見る目は、その時代のその人の立場にあるべきだ。その目がなくては、真の歴史は見えてこない。歴史を学ぶ鉄則と心得ていい。
「大空の弟」を歌った笠置シズ子や制作者・演奏者たち、そして歌を聞いて涙を流した多くの国民は思っていたことだろう。『悔いて反省などしない。「かねてより われらを苦しめた憎い顔した敵軍ども 日頃鍛えたこの腕で重い小銃 抱え込みガーンと突撃しています」と歌ったことは、当たり前のことだった。』と、それが歴史の真実である。当時の総てを、戦争が悪いの一言で片付けてしまってはならない。歴史の実相を、己の身に引き受けて良く考えてもらいたい。ある意味、テレビの制作者にも当時の当たり前に気付く人達がようやく出てきたのかもしれない。
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