61、勇者たる芭蕉、そして李登輝

台湾の李登輝元総統 松尾芭蕉像と
台湾の李登輝元総統 松尾芭蕉像と

 千里眼の木とも呼ばれる目薬の木を植樹した李登輝元総統 

 宮城県に鎮座する奥州一宮鹽竈神社の唐門前に、目薬の木がある。平成196月に、台湾の李登輝元総統が植樹した。

 彼は京都帝国大学に学び学徒出陣。自らを22歳まで日本人だったと回顧し、日本の精神や文化を深く理解する人であった。特に、松尾芭蕉に傾倒し念願かなって奥の細道を旅する途中、同神社を参拝した際の記念植樹である。

 令和27月李登輝逝去の報道直後、この木の元に花束を供える若者たちの姿があった。東北大学に留学する台湾人学生が日本の学生を伴って、李氏追悼の為に来たという。その上で彼等から、互いに危機の時にこそ信頼し合える日台関係を望んでいた李氏の遺志を受け継いでゆくとの決意を聞いた。

東日本大震災時、台湾からの支援金は世界最高額となる。日本からは、台湾南部地震の折り台湾支援の輪が広がり、神社でも支援募金を行った。また、中国が台湾のパイナップルを突如禁輸した際には、パイナップルを買って応援しようとの輪が広がり、同じく中国の妨害によってワクチン不足が露呈した台湾へワクチンが空輸され、今回の能登地震へも台湾から多額の見舞金などが送られているという。

目薬の木は、長者の木、千里眼の木とも呼ばれている。歴史的にも希有な指導者であった李登輝は、多くの人の尊敬を集める長者である。そして、日台の友情が強固であることこそが、両国の安全と発展に不可欠であるとの展望を持っていた千里眼の人でもあった。

 李登輝により始まる台湾の民主化

台湾人の中でも、李登輝に象徴されるように、日本教育を受けた世代の日本好きは広く知られるところだ。それが何によるものなのかを命題として書かれた本、「日本人は台湾でなにをしたのか」(鈴木満男著 国書刊行会 平成13年)を参考引用する。

『私はつとめて、歴史学者のいう第一次資料に依拠することにした。つまり、現地台湾で、特定の状況において見たこと、聞いたことの記憶を、できるだけ正確に復原し、それに拠りつつ書くことにした』として、著者は本書を記述している。実際に渡台した昭和四十四年と四十五年、そして五十年から五十三年までの現地調査が叙述の重点となっている。その上で、著者は当時の台湾を、

『李登輝前総統が登場する以前の台湾・中華民国は、鋼鉄のようなレニン主義的一党独裁の国家だった。』とし、現在の民主主義国家台湾は、李登輝に始まると明確に書いている。これは、極めて重大な指摘であるが、日本での認知度は低いと思う。先ずはこのことを踏まえて李登輝を知れば、世界を俯瞰する見識や不屈の精神を備えた大政治家であったことが理解できるのではないか。そして、日本の文化や教育がこの大政治家の人格の基盤となっている。ここに、日本教育を受けた台湾人世代の日本好きの大きな要因があると、著者は説いている。

本書では、何人もの台湾人を紹介する中、特に鄭春河について多く書いている。

『日本軍人になることによって内地人と対等に日本同胞となり皇国に忠節を尽くすことができると死を恐れず志願して来た。植民地民の面目にかけて祖国日本の為に内地人並に一つしかない命を売りにきたのだ』との鄭の言葉を示した上で、次のように洞察している。

『要点は三つある。

(一)祖国・皇国・日本同胞などの表現が示す《日本》への熱い同一感・帰属感。

(二)これに劣らぬ熾烈さをもつて、台湾人あるいは植民地人民としての名誉感・責任感・対等感(平等感)が説かれている。

(三)台湾人を日本人と同じ位置に据えつつ、地方シナ人と自分たちを峻別しようとする違和感・異質感のはげしさ。』更には、

『台湾人が、シナ帝国の古く悪しき政治文化をトコトン拒否し、拒絶する、全く新しい国民精神をもつた国民でなければならないことを、鄭さんは日本国民への訴えの形で、同胞の台湾本省人に対して訴えようとしたのだ。特に、戦後の長い間、蒋介石政権の反日教育を受け、来る日も来る日も反日放送を聞き、反日テレビを見て育った戦後世代の台湾人に対して』との理解に至っている。

鄭春河の言論活動の真意をこのように捉えることが出来たのも、やはり年季の入った台湾研究者であればこそだ。本書で繰り返し提起した台湾問題の核心は、『シナ帝国の古く悪しき政治文化をトコトン拒否し、拒絶する』という当時の台湾人の意志にあったのだ。

 

奥の細道は、勇者の道

 

 『鋼鉄のようなレニン主義的一党独裁の国家』であった台湾を、大局を見据えて粘り強く法治国家へと導いていった李登輝。その勇気の源泉となった日本精神の、象徴であり理想であり続けたのが松尾芭蕉である。武具はおろか金銭さえ持たずして身一つで、国士・義人の足跡を訪ね歩いた芭蕉こそ、李登輝にとっての真の勇者であったに違いない。だからこそ、芭蕉の勇気の足跡を辿りたいとして、奥の細道を旅したのだった。我々も知らねばならぬ。奥の細道とは、松尾芭蕉や李登輝のような勇気ある人の道であることを。