仙台藩士による北方警備
Kokorohurihureブログ62番「神前に、忠義を誓った灯籠」では、「文治灯籠」について書いた。今回は、そのはす向かいにある「文化灯籠」の縁起である。
江戸時代後期の文化年間に、北方警備のため択捉島・国後島へと出兵した仙台藩により、任務完遂を感謝し鹽竈大神に奉納されたのが「文化灯籠」である。
それは、日本固有の領土である「北方四島」を、ロシアから守り抜いた仙台藩士の偉業を讃え凱旋を記念して建立され、今にその歴史を伝えている。子供たちに、北方領土返還の日本側の主張を説明するのに、これほどわかりやすい教材はない。
「君達の先祖が仙台から出て行って、命を懸けて守り抜いた北方四島。現在、この日本固有の領土は、ロシアに取られたままになっている。一日も早く、取り戻さなければならない。」
米国のペリー提督が黒船を率いて浦賀にやって来た嘉永6年(1853年)を遡ること半世紀、欧米各国は先を競ってアジアに進出。ロシアは蝦夷地へと手を伸ばし始める。
遂には、樺太と択捉において漁場が襲われ略奪連れ去り事件が発生する。幕府は、東北諸藩に出兵を命じ、文化5年(1808年)2月に2千名を超える仙台藩士が択捉・国後・箱館の警固に進発した。択捉島上陸は4月20日。現地では警固本部となる陣屋建設を行い警戒警備活動にあたり、領土を守る日本の意志を示した。これによって、ロシアの行動は沈静化する。しかし、厳寒期の過酷な征途と、夏でさえ濃霧に覆われる寒冷地での警戒活動の中で、68名の藩士が死亡している。重ねて、出兵費用は6万両に及び、仙台藩は幕府に借用金要請の窮地に至ってしまう。仙台の先人たちが、まさに心血を注いで守った北方領土は、いまだにロシアにかすめ取られたままなのである。
ドラマ「不適切にもほどがある」
TBS金曜ドラマ「不適切にもほどがある」は、昭和61年から令和へタイムスリップした昭和の熱血教師が主人公だ。演じる阿部サダヲさんが愉快で、その放送初回を楽しんだ。ドタバタの喜劇であったが、番組制作にしっかりとした意図を感じた。平等を絶対正義とすることへの疑問である。不適切発言で令和の人々を困惑させる昭和の教師。近頃のいわゆる意識低い系の人の言葉に、妙な説得力を持たせている。
「冗談じゃない、こんな未来のために、こんな時代にするために、俺たち頑張って働いているわけじゃない。」、
これは、「相手が不快になったら、それはもうハラ(パワーハラスメント)なんだよ」といった会話をする令和の人達へ言い放った台詞だ。
親子は平等、教師と生徒も平等、上司と部下も平等。確かに平等意識は、尊重しなければならない。しかし、それを絶対視する思想や主張にかき回されて、息苦しさを感じるような社会への疑問を、主人公に語らせるドラマとなっている。
主人公の台詞は、何故だか仙台藩士に言われているようで、己の不甲斐なさに負い目を感じた。もっとも、先人はそんな恩着せがましいことは言わないだろうが。
平等を絶対視する思想の恐ろしさ
子供は親に守られているとの安心の中で育ち、「強き人には弱き人を助ける任がある」ことを学ぶ。加えて、心も体も強き人でなければ、真のやさしさは持ち得ないことも、親の昔語りから感じ取り、子供は親へ敬意を覚え大人へのあこがれを思うようになるのではないか。職場の上司による酒席での昔語りも同じ事、新人はそこから仕事の価値や理想を学ぶ。先祖と子孫、親と子、教師と生徒、上司と部下、それぞれが持ち場や役割を果たすためには、愛情と敬意による上下関係が不可欠だ。平等を絶対視するような思想は、神話や先祖の物語によって築かれてきた社会を壊してしまう、実は恐ろしいものなのだ。
神社の境内にある灯籠や石碑や樹木、それら献納された総てには時代時代の願いと共に、語り伝えるべき偉人たちの歴史がある。それを知ってもらいたい。そんな願いを込めて、「勇者たる芭蕉、そして李登輝」・「神前に、忠義を誓った灯籠」そして、「北方領土を語り続ける灯籠」と、3回に分けて書いたつもりである。
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