自ら志願してA級戦犯となり入獄した笹川良一であったが、入獄当初は裁判の在り方はおろか獄中生活の実態すらつかめないままだった。そこで、笹川は日記をつけると同時に、手紙を外部への情報公開の手段としていった。今日、獄中の様子がつぶさに知ることが出来るのも、これら日記と手紙が残されて、「笹川良一と東京裁判」全3巻の大冊がまとめられているからだ。
入所翌年、巣鴨拘置所の収容房体制は、それまでの独居房から最大6人までの雑居房に変わっている。人間誰しも生活の全て曝け出す大部屋暮らしは好むところではないだろう。特に元大臣や元大将と言ったA級戦犯容疑者にとっては、BC級戦犯と混在する収容体制への変化は、さまざまな問題を引き起こす大きな要因だった。特にこれが寒い時期で、心身ともに余裕なき状態であったため問題は先鋭化する。また、いかなる罪で起訴されるのか不明な状態での取り調べが執拗に続けられ、その不安と緊張は容疑者たちを精神的に追い込んでゆく。特には、国内すべてが食糧不足で食事量が極端に少なく肉体も大きなダメージを受けていた。食欲など人間の根源的な欲望の制御に不慣れな人ほど、我欲を丸出しにしてしまう。我利我利亡者のごとき利他精神に欠けた人物の様子を笹川は書いている。こうして、高位高官であった人物の権威は失われてゆく。一方、笹川は入獄経験者として余裕のある態度で容疑者たちの世話を焼いている。獄中では、社会的な身分などまったく役には立たない。個人としての人間力こそは、信頼を得るために欠くことの出来ないもので、笹川のそれは抜きん出ていたのであった。
21年の夏頃からは使役労働が過酷なものになり、特に笹川への使役は侮辱的で残酷なものとなってゆく。後難を恐れて被収容者に訴え出る者がいない中、笹川は所長に訴えの手紙を書く。それは笹川への暴行が加速する一因となってしまう。度重なる暴行の有様は、10月になるとその詳細が記される。なかでも、日系二世の少尉による笹川への暴力は残酷を極めている。しかし、笹川は、日記に「デブ」と書いた少尉の暴力を伝えながらも、憎しみや恨みを乗り越えて、国家間の大局を見据えようとする強靭な意志を記してゆく。
10月18日「 (前略)風呂場の掃除を至れり尽くせりになす。(中略)あまりの熱心さにこの番兵は忠実なり。昨日午後の番兵は命令違反しても人道を重んじ午後使役せざりしこと判明す。米国は絶対服従の日本兵士に人道を重んじ命に反せず命のままに俘虜を虐待せりとして厳罰に処したるも、人道を重んずる米国においてもただひとり昨日午後の番兵あるのみ。(中略)左手は使えず右手は傷のため湯入り痛むもやっている予の「暴に報いるに徳を以てする」丹心がいつかわかるであろう。米人にも予を見る人皆怒憤す。如此行為は栄達のためとなるであろうが米陸軍の一大損害となる。これを予は日米親善のために悲しむ。(中略)この人間味ある番兵のためなら倒れてもなお喜んで使役する。
身体が虐待を何程耐えられるか研究してみよう。この虐待と侮辱は予の身に徳を積めり、風呂屋の三助になれば天下第一の者となろう。」
10月25日「(前略)正味十二日間二十八回の強制労働をせしめたデブも中止せり。余程心配し出したのであろう。病気でも休ますなとは世界第一の残虐者である。」
10月26日「今日も使役を申し付けぬがさすがのデブさんも閉口したのであろう。デブさんの暴に報いるに徳を以てした予の勝ちであろう。胸の内に故障を生じたのであろうか。万が一にも彼の拳骨が因となりて入院でもせねばならなくなり事が公となって彼が処罰せられる様になっては、せっかく中尉となった彼に気の毒である。故に何とかして早く全治せしめ米陸軍のために反省の資とせねばならぬが彼が処罰されない様にしたいものである。この予の気持ちは残忍酷薄なるデブさんには判るまい。この好機を逸せず改善せしめて米国の信用を挽回し日米親善の因としたいものである。予のこの日米を愛するが為の善意を米国当局は諒解するであろうか。この気持ちが判らぬ様ではマ元帥の政策は完全に失敗しソ連にしてやられるであろう。この事一番心配である。」
笹川日記からは、日本兵の俘虜酷使を裁判において責める資格など米国には到底認められないことが知れる。それにしても、己の身を散々痛めつけ過酷な使役を強制した日系二世のデブさんを恨むどころか、日米親善のためにも彼が処罰されないことを望んでいるなど、暴力や使役強制さえも己を高める修養とするほどの達観した意志をもった大人物、それが笹川良一であった。
徳を以て暴力に勝った笹川は、肩書きの通用しない巣鴨プリズンの世界にあって、その存在感を周囲に知らしめ、BC級だけでなくA級戦犯者たちの信頼も得ていった。
この懲罰労働事件により、容疑者であっても勇敢に真実を語る勇気を被収容者たちは目の当たりにする。主張するべきは主張し、断じて暴力には屈せずに正義を貫くことが、国の指導的立場あった人達に対し、東京裁判において求められることだと、笹川は身を以て教示したと言える。
巣鴨への入所翌日、笹川は早速検事団とMPや通訳などに取り囲まれ尋問を受けている。その時の笹川の主張は次のような内容のものだった。
私は、アメリカに対しては断じて軽侮の念を抱くものではない。よく戦った敵として尊敬している。しかし、ソ連に対しては激しい怒りを覚えている。それは日本に対し、不可侵条約の有効期間中に、兵を動かし満州、樺太、千島を侵略し、多数の日本人を捕虜にして本国に拉致している。ソ連は日本に対して条約違反を犯した上、傍若無人の侵略を敢えてしている。この卑怯極まるソ連の行為を黙視するならば、将来いよいよ侵略戦争を奨励することになり、正義は滅び本裁判の神聖は著しく冒涜されると考えている。
この内容こそ、裁判において東條に主張してもらいたいことであった。
そして、開戦日本の立場を主張するとか、日本の自衛権を正当づけることなどは期待せず、それ以上に国際間の相互の行動の真実を探求し戦争の実相を究明して国際裁判の真価を発揮してほしいという大局観に立って、東條に裁判で主張するよう促したい。そうした思いを込めて笹川は東條に語りかけている。
「どうせ、あなたは死刑を免かれませんよ。もう一度巣鴨を出たいなどと思う心は、もちろんあなたにおいてあるはずもないが、夢にもそんなことは思わんで下さいよ。」
今となっては、天皇の防壁たる者、貴下をおいで他には無い。その信念に従って、臆せず堂々と日本の立場を陳述してほしい。貴下において今度の戦争を、あくまで自衛戦争と確信するのならば、その確信を、法廷のマイクを通じて全世界に向かって叫んで欲しい。」
「たいていの人は、法廷であまりズバズバやると検事の心証をわるくする。判事に憎まれて損をすると考えるようですが、僕の公判闘争の経験によれば、それは全く逆です。被告に陳述の義務は無いが、真実を解明する権利がある!大胆に勇敢に真実を語ることだけが最後の勝利です。」(山岡荘八・小説大東亜戦争第9巻より引用)
笹川のこうした激励に東條からは、
「笹川さん、私は君の期待に添えると思いますよ」との言を得たのである。
ここに、笹川良一の拘置所における戦闘は、一旦の成功を収めるのであった。
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