警察学校での講話に対する感想である。
「講話を聞いて、戦時中の同世代の方々のたくましさにただただ驚くばかりでした。国家が戦争へ向かう中で、自分のやりたいことを抑えて、国のために必死で生きて、そして亡くなった。その気持ちに胸を打たれました。毎日の訓練の先に絶対的な死が見えているはずなのに、何故笑っていられるのか。私は今日まで、その心情が理解できませんでしたが少しわかったような気がします。みんな少なからず死に対する恐怖はあるけれど、両親や恋人、子供に対する愛情にあふれています。ただ、それ以上に国に対する忠義を尽くそうとする気持ちや、日本人という民族の誇りのために戦っていたことを知りました。誇るべきことです。自らに課せられた使命を全うすることの模範を見た気がします。仕事に使命感を持ち、命をかけて仕事に取り込む姿勢は、誇らしく見習うべき事でした。警察官は公共の安全と秩序の維持を目的としており、誇りと使命感を持ってその職を全うすることが求められます。誇りと使命感とは何かと考えてみると、彼らが胸に秘めていたものと同じ、守るべきものを真に想う気持ちと、力強く勇気にあふれた姿ではないかと思います。まさに理想の警察官そのものの姿です。」
ここには、戦時青年への驚き、己の死に向かっての訓練、周囲の人への愛情、誇りと使命感を持って職を全うする模範とすべきといった感想が述べられ、多くの学生の感想を象徴する内容であった。
しかし、なかには次のような感想もあった。
「手紙の中で感じたことは「思ったより悲壮感がない」という事だった。これが辛かった、あれが大変だった、思い出すのもいやだというような話があまり出てこなかったと思う。それが戦争の中で生まれ育ち教育されてきたという事なのかもしれない。(中略)当時の若者は、死んでこそ国のために得るものがあるという考え方に心酔しており、死ぬ事を恐いと思ったことはないのだと思う。」
「軍国主義に染まっていく当時の人々、若者たちは戦争に対して疑問を抱かない人間にされていったのかと思うと、同世代の者として悲しい気持ちになった。」
どうして、こうした決めつけになるのか。こういった感想を書いた学生のことを考えてみると、歴史を見る上で欠かすことの出来ない事柄について、考えが及んでいないように思えるのだ。それは、先人への敬意に欠けているということだ。現代社会は、何よりも平等を大事にする思想に満ちている。しかしそれは、今日生きている人間同士の平等であって、先人との間にはまるで存在しないもののようだ。自国の歴史であっても、否定し断罪してかまわないといった戦後の風潮。特に道徳観において、過去の風習や人間を蔑視するような思い上がりには、腹が立つ。道徳観そして倫理が、科学のように時代とともに進歩すると勘違いしてしまった結果が及ぼす影響は、先人への共感や愛国心を失わせる大きな要因となってしまった。
小学校での歴史学習の教材として、富岡製糸場より労働環境が悪く「あゝ野麦峠」の舞台にもなった岡谷製糸場の工女の様子を取り上げた授業に関する記事を読んだことがある。
工女の休日が月に二日しかなかったことに対し、児童からは「工女がかわいそう」などの意見、そこで工女たちの九割が「製糸場に行ってよかった」とアンケートに答えていたことを示すと、「ええ、何で」とどよめく児童たち。工女たちの故郷の農家では工場より貧しい食生活だったことや、過酷な農作業を一日も休めなかった実態を気づかせることができた。として、歴史の光と影を考える学習となったと結論づけてあった。
授業の詳細はわからないが、ここでも現代の価値観や考え方で、高みから過去を眺めているような授業実態が知れる。これでは、祖国の歴史への共感も、先人への感謝も到底生まれはしまい。貧しさの中にあっても助け合い協力して、世界に誇るべき優れた製品を作っていった。その祖先の性質や考え方を引き継いできたからこそ、今日の日本の繁栄がある。
先祖との繋がりを感じさせることに、歴史教育の目的はある。歴史を断罪し祖先との絆を断ち切ってしまえば、日本人としての誇りや愛国心などは生れようもない。
さて、「当時の若者は、死んでこそ国のために得るものがあるという考え方に心酔しており、死ぬ事を恐いと思ったことはない」と、特攻隊員の意識を決めつけてしまった学生には、たとえば、海軍予備学生の後藤弘少尉の日記を紹介することを考えた。
「特攻隊のことを考えると夜眠れなくなることがある。死の覚悟ができていない自分が淋しく情けなかった。早鐘のようにうつ心臓、寝苦しくてならなかった。この時、ふと自分がいつも言っていた「天皇陛下、ほかのことは何も考えるな」という句が浮かんできた。そして静かに「天皇陛下、天皇陛下」と唱えてみた。この時である。不思議に胸の動悸がしづまってきた。そして、私の中にわだかまっていたものが静かに払いのけられていった。胸の中に一条の光の道が開けて、それが素直に胸の中を貫きだんだん広く明るくはっきりしてきた。あらゆる雑念も未練も総て側によせられ光をひそめ、一条の道だけが胸に輝いてきた。心は安らかになった。そして「いつでも死ねる」と思った。私はこの時ほど厳粛な気持ちを味わったことはない。これを悟りというのであろうか。そして本当に良かったと思った。死の恐怖から遂に救われたのである。いつでも来い。喜んでゆける。こんな気持ちになることができた。」
しかし、後藤少尉の苦しみを素直に受け入れることが出来るだろうか。たとえば、「称名効果」との理論によれば、聖なる言葉を繰り返し唱えることで精神集中と心の平安を得られるという。更には、「天皇陛下」と唱えることこそが洗脳教育だなどと決めつけるかも知れない。つまりは、理屈だけでは共感を得ることはできないと思うのだ。
むしろ理屈は後付けでもかまわない、先ずは戦没者の遺書や行動に共感する心が不可欠なのだ。そんな思いで、記録を忠実に語り受講生の感情に訴えることに努めていた。が、やはり一定の割合で、戦争を否定することの枠にとどまり、戦没者の真情に共感出来ないままの感想があった。それが、ある時を境にまったく見られなくなった。東日本大震災である。 つづく
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