日本武尊は、父である景行天皇の命令によって東方の征伐にむかう。相模の国(現在の神奈川県)でのこと。尊とその一行は敵の策略にはまり、野原に放たれた火に囲まれてしまう。燃えさかる炎の中、尊は后の乙橘比売を抱きしめて「大丈夫だ、心配するな、私がついている」と比売を励まし、持っていた「草薙の剣」で草を刈りはらった。火の勢いは弱まり、一行は難を逃れることが出来たのだった。
こうして、窮地を脱した一行が、次に走水海(はしりみずのうみ・現在の浦賀水道)を船で渡ろうとした時のことだった。大波が起こり、航路は閉ざされてしまう。「尊の代わりに私が海に入って、海神の怒りをなだめましょう。」と、弟橘比売は美しくよそおって海に入られてしまった。すると荒波が静まり、船は無事対岸へと進むことができたのだった。
この別れの時、比売はこう歌われるのであった。
さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
「相模の野原に燃える炎の中で、私を気遣ってくれた尊のことを、あの時のあなたを忘れません」と感謝の心を持って、尊の大切な使命の為に我が身を捧げようとした比売の決意。とともに、命を懸けて比売を守った尊の勇気や、比売を失った悲しみを思う時、この愛の神話は、今もなお読む者の涙を誘うのである。
平成十年にインドで開催された第二十六回国際児童図書評議会(IBBY)世界大会で、皇后陛下(現・上皇后陛下)は「子供時代の読書の思い出」と題してビデオで講演されました。皇后陛下はその中で、子供時代に読んだ日本武尊と乙橘比売との神話についての感想を、次のように述べておられる。
『(前略)悲しい「いけにえ」の物語は、それまでも幾つかは知っていました。しかし、この物語(注・日本武尊と弟橘比売の神話)の犠牲は、少し違っていました。弟橘の言動には、何と表現したらよいか、建(注・日本武尊)と任務を分かち合うような、どこか意志的なものが感じられ、弟橘の歌はーーー私は今、それが子供向けに現代語に直されていたのか、原文のまま解説が付されていたのか思い出すことが出来ないのですがーーーあまりにも美しいものに思われました。「いけにえ」という酷い運命を、進んで自らに受け入れながら、恐らくはこれまでの人生で、最も愛と感謝に満たされた瞬間の思い出を歌っていることに、感銘という以上に、強い衝撃を受けました。はっきりとした言葉にならないまでも、愛と犠牲という二つのものが、私の中で最も近いものとして、むしろ一つのものとして感じられた、不思議な経験であったと思います。
この物語は、その美しさの故に私を深くひきつけましたが、同時に、説明のつかない不安感で威圧するものでもありました。
古代ではない現代に、海を静めるためや、洪水を防ぐために、一人の人間の生命が求められるとは、まず考えられないことです。ですから、人身御供というそのことを、私が恐れるはずはありません。しかし、弟橘の物語には、何かもっと現代に通じる象徴性があるように感じられ、そのことが私を息苦しくさせていました。今思うと、それは愛というものが、時として過酷な形をとるものなのかも知れないという、やはり先に述べた愛と犠牲の不可分性への、恐れであり、畏怖であったように思います。(後略)』
皇后陛下は又、日本の神話を子供時代に読んだ御自分の御経験から、神話を読む意義についても述べておられます。
『(前略)一国の神話や伝説は、正確な史実ではないかもしれませんが、不思議とその民族を象徴します。これに民話の世界を加えると、それぞれの国や地域の人々が、どのような想像力を持っていたか等が、うっすらとですが感じられます。
父がくれた神話伝説の本は、私に、個々の家族以外にも、民族の共通の祖先があることを教えたという意味で、私に一つの根っこのようなものを与えてくれました。本というものは、時に子供に安定の根を与え、時にどこにでも飛んでいける翼を与えてくれるもののようです。(後略)』
古事記はもとより、平安時代の「伊勢物語」や「源氏物語」も、登場人物の行動や心情の説明は散文で行い、心情そのものは詩歌をもってあらわす様式となっている。
乙橘比売の歌、「さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」にあっても、比売の心の有様、決意であり覚悟は歌として叙述されてあった。
上皇后陛下も、『弟橘の歌は、あまりにも美しいものに思われました。「いけにえ」という酷い運命を、進んで自らに受け入れながら、恐らくはこれまでの人生で、最も愛と感謝に満たされた瞬間の思い出を歌っていることに、感銘という以上に、強い衝撃を受けました。』と、語られた。そこで、乙橘入水の場面にもどって考える。果たして、この歌はとっさに思いついたのか、それとも密かに用意されてあったのか。ここにこそ、読むものを感動させる歌の背景があるのだと思う。相武の火中の危機を救った夫・武尊への思いを歌にして、比売は自らの決意を固める。それは、尊が担っている使命のため自ら一身を捧げても役に立ちたいとする覚悟であったろう。「問ひし君はも」の終助詞「も」にこそ、比売の感情が籠もっている。歌を作った事のある人ならば、誰もが迷い悩むのが助詞・助動詞の選び方。推敲に推敲を重ねて終助詞「も」あてた比売。そこに、大波に襲われたとっさの時に迷わず入水された背景が知れて、読む者の心を打つのであった。
上皇后陛下のおっしゃられる「根っこのようなもの」「安定の根」そして「どこにでも飛んでいける翼」を、我が子に我が孫に与えてあげてほしい。神話を語ることは、国粋主義でも排外的なものでもない。それぞれの国家や民族が、その歴史や祖先を大切にし、自国の心や生き方を子孫に繋いでゆくために欠くことのできないものだと信じている。
参考・引用文献
田辺聖子「田辺聖子の古事記」集英社 昭和六十一年
皇后陛下「子供時代の読書の思い出」毎日新聞平成十年九月二十八日朝刊
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