1,遊就館が力になった
郷里に、美容院を経営している従兄弟がいる。25年以上前のことだが、彼は二十歳前後の男女4名の従業員を引き連れて上京し、遊就館を訪ねてくれた。美容技術を競う全国大会に参加する青年たちに、戦没者の遺書を読ませたいという。たっぷり時間はあるという彼の言葉に従って、戦没者の遺書をはじめ黒船来航以来の日本の歴史について館内を解説案内した。それは、2時間半に及んだが彼等は飽きる様子もなく熱心に聞き入っていた。特別な感想の言葉はなかったが、青年たちの目には光るものがはっきりと見て取れた。その3日後、従兄弟からの電話。「こないだの一人が全国優勝した。ほかの3名も入賞以上の好成績で、何年も参加してきて初めてのことだ。遊就館が彼等に力を与えてくれたことは間違いない。本当に、ありがとう。」互いに忘れられない記憶となり、今でも彼と会うたびに、この話を繰り返し語り合っている。戦没者の遺書が、青年たちの心を励まし、力を与えることは、それまでも何度となく体感してきたことだった。しかし、身近な人間から直接に、その言葉を聞けたことは大きな喜びで、己の使命感を奮い起こしてくれるものとなったのだった。
一方、その当時、大学の入試論文に「なぜ、殺人がいけないのかを論じよ」といった類の問題が出たとの新聞記事があった。大学入試問題の作成者が、理屈と良心に関わる事柄の区別さえ出来ていないことに、日本人の自己を律する意識の低下があるように思えたのだ。
道徳や倫理観は理屈ではない。
例えば、遅刻を続ける(健康な)子どもは理屈では説得できない。「他人の迷惑にならないように静かに入室するし、遅刻の回数が多くて不利になるのは承知している、授業内容についていけないことも自己責任として甘受する」と主張されたら、何と説得するのか。
援助交際をしている女子に「誰にも迷惑をかけていない。おじさんは喜ぶし、私もお金をもらってうれしい」と言われれば、どの様に説得するのか。「不純異性交遊」は死語となり、愛がある性交渉は決して不純ではないという理屈。しかし、妊娠したり性病にかかると困るので、学校でコンドームの使い方を教えるとも仄聞する。
純潔の尊重や処女性を大切に考える家庭にあっては、何を基準にして子女の進学先を選ぶのであろうか。大阪で進められている高校授業料の完全無償化により、公立高校は志願者定員割れの事態となっているという。勿論、私立学校との学力格差が大きな要因であろうが、教育理念が明確で規則が厳しい私立の方が信頼できると考える親が多いのではないだろうか。しかし、道徳心の二極化があってはならない。豊かで秩序ある社会を構成する一員としての倫理観、道徳心を養う環境こそ、家庭環境の差異に関わらず整えられなければならない。その意味でも、祖国の歴史は評価尊重され教えられなければなるまい。
2、青年に感動ある祖国の歴史を
「日本に生まれて良かった。そしてその祖国を更に立派に良くするにはどうしたら良いか。」と、真剣に考える青年が多くなる為には、どのような教材があるのだろうか。
それは、遊就館に展示されてある、吉田松陰などの幕末の志士、日露戦争で示された武士道精神、そして、大東亜戦争で戦死していった青年たちの記録等こそ、語って聞かせるべき倫理教材なのだ。
3、特攻出撃を前にした青年の真情
昭和20年4月29日、神風特別攻撃隊「第五昭和隊」隊員として爆弾を積んだゼロ戦に搭乗、鹿児島県鹿屋基地を出撃、南西諸島方面にて戦死された市島保男さん、早稲田大学から学徒出陣した当時満23歳の方の遺書の一部である。
「隣りの室では酒を飲んで騒いでいるがそれも又よし。俺は死する迄静かな気持ちでいたい。人間は死する迄精進しつづけるべきだ。まして大和魂を代表する我々特攻隊員である。その名に恥じない行動を最後まで堅持したい。私は自己の人生は人間が歩み得る最も美しい道の一つを歩んで来たと信じている。精神も肉体も父母から受けたままで美しく生き抜けたのは、神の大いなる愛と私をかこんでいた人々の美しい愛情の御陰であった。今限りなく美しい祖国に我が清き生命を捧げ得る事に大きな誇りと喜びを感ずる。」
平成13年の夏、小泉総理が靖国神社参拝をするにあたり、何度も口にしていたことは、特攻隊の遺書に感動したことであり、特攻隊の人たちのことを思えばどんな苦しいことでも耐えてがんばれるといった内容であった。その発言は大方の心ある国民の共感を呼んでいた。そんな中、先のニューヨークでのテロ事件の発生を受けてのテレビ番組で、小泉総理に投げかけられた質問は「総理は、特攻隊の遺書に感動しその心情が理解できるそうですが、このたびのテロの特攻攻撃も理解できるのですか。」さすがに総理は、両者が全く違うことを説明していたが、私は見ていて血が逆流するような怒りを覚えた。なんということか。同じ日本人として、あのテロ行為と日本の特攻隊を同じと捉えるとは。たぶん、この質問をした人は、一編の特攻隊員の遺書も読んだことがない人だと思う。しかし、このような悪意ある曲解は、いまだにあるようだ。であればこそ、戦時青年たちの真の心を語ることは大切なことなのだ。
4、日本の青年が残した「忠孝一本」の精神
もう一編。古谷真二さんの御遺書を紹介する。この方は、慶応大学から学徒出陣。昭和二十年五月十一日、「第八神風桜花特別攻撃隊神雷部隊攻撃隊」隊員として一式陸上攻撃機に搭乗、鹿児島県鹿屋基地を出撃、南西諸島方面にて戦死されている。この方も又、23歳の若さであった。
「御両親はもとより小生が大なる武勇を為すより身体を毀傷せずして無事帰還の誉を担はんこと、朝な夕な神仏に懇願すべくは之親子の情にて当然也。しかし、時局は総てを超越せる如く重大にして徒に一命を計らん事を望むを許されざる現状に在り。大君に対し奉り忠義の誠を至さんことこそ、正にそれ孝なりと決し、すべてを一身上の事を忘れ、後顧の憂いなく干戈を執らんの覚悟なり」
この「忠孝一本」の精神の涵養こそ、人間教育の根本であると説いているのが、「教育勅語」である。
5、「忠孝一本」は教育の淵源
「教育勅語」の冒頭に、次の一節がある。
「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々ソノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス」
「君民一家のごとき日本であれば、君に忠に親に孝なるのみならず、忠と孝とを兼ね備えて君に仕え奉ることができる。万世一系の天皇をいただいて忠孝勇武の臣民があり、一心同体となって、国を守って来ることこそ日本の国柄である。教育の大事は、人の道を守るようにしつけることであれば、第一に忠孝の道を教えて、君と親とによく仕えることを教えなければならない。国民が皆よく忠孝の人であれば、自然と国は安らかに治まってゆくのである。」これが、その大意である。
最も、親思いの人こそが、心から国を思う誠心の人であったことを教えなければならない。今も尚、志の高い人にあこがれる青年の心は変わらないはず。必ずや先人の清らかで美しい心根に感動し、己もかくありたいと努力を惜しまぬ人となれる。こうして、社会に貢献できる青年が続々とあらわれてくることを願っている。遊就館には、力がある。青年を導く力である。
コメントをお書きください