78、五箇条の御誓文 その2

さて、『五箇条の御誓文』その内容に進む。

一、五箇条の御誓文の内容

 五箇条の一番は、

(ひろ)會議(かいぎ)(おこ)萬機(ばんき)公論(こうろん)ニ決スベシ」

「国家の政治は、ひろく人材を求めて会議を開き、公正な意見によって決定するように」との大意である。

 五箇条の御誓文は、国のおきて、国是であり、言うならば、今後の日本のあり方を示したものである。当時、一般国民は国政に関する知識を持ち得ず、実際に発言することは出来なかった。だからこそ、今後は、少数者だけによる政治ではなく、ひろく人材を求めて会議を開き、公正な意見によって政治が行われるべきだとした。ここに、国民はすべて国政について発言できるとの内容が掲げられ、日本政治の近代化宣言ともなったのである。

 二番目は、

上下(しょうか)心ヲ(いつ)ニシテ(さかん)經綸(けいりん)ヲ行フベシ」

「すべての国民は、心を一つにして、熱心に国家を治めなさい」との大意。

 アメリカの第43代ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領は、その就任演説において次のように述べている。

「個人的な安楽を超えた公共の利益を求め、まず隣人と共に国家に奉仕してほしい。傍観者でなく、従属者でもない責任ある市民になってほしい」

 この演説から、国家を構成する国民の心構えが、国柄の違いに関わらず共通していることを知ることが出来る。国家とは国民を規制し得る最終の単位であるばかりでなく、本来選択することを許されないもの。その国家の中で我々の人生は営まれ、個人個人の力が結集され国家という通路を通って世界へと広がってゆく。そして、あらゆる権利もそれを保証してくれるものは国家に他ならない。国民共同体としての国家に対する責任を自覚することなしには、どのような社会も成り立たないことを知るべきなのである。

 三番目は、

官武(かんぶ)一途(いっと)庶民(しょみん)ニ至ル迄(おのおの)其志(そのこころざし)()人心(じんしん)ヲシテ(うま)ザラシメン事ヲ要ス」

「政治に携わる人や軍人そして一般国民も、それぞれに自分の職責を果たし、心がなまけず、希望を失わず、各自の志が達成できるようにすることが大切である。」

 本来、日本の国民性の大きな特色は、勤勉さにあった。しかし、近年は国を挙げて「休め、休め」の大号令。今や、小中学校までも週休二日制となっている。美徳とされた勤勉性を失えば、日本の低迷はさらに続くことだろう。それどころか、勤労の喜びを失えば、国が滅んでしまうかもしれない。大げさな主張でないことを知っていただく為、次の文章をご紹介する。これは、大東亜戦争当時の兵士の手紙一節です。

「比島の前線よりこちらへ帰つてくる航空部隊の人たちにききますと、比島の原住民といふのは、魂の底まで白人文明の陰謀にむしばまれてゐるのに、今さらのやうにおどろきました。それは一見大へん幸福な生活のやうに見えて、もつとも人間にとつておそろしい生活であり、しかもいちどこの味をおぼえるともうとてももとにかへれないやうな、おそろしいもものやうです。ともかく比島人は、とてもぜいたくな風俗に浸り切つて、勤労のよろこびといふやうなことは、全然知らない人種だといふことを知りました。しかもアメリカの物質文明の害悪が、心の底までしみこんでゐるやうです。もし日本が負けたら、我々の民族も又かくして永久に太古以来の、比類ない民族精神を喪失することでせう。どうしてもかたねばなりません。我々が勝たねばわづかにアジアにのこつて日本によつて支へられてゐるアジアの精神が、永久に地上から抹殺されねばなりません。」(山川弘至さんが妻へ宛てた手紙の一節)

 日本の伝統的な家庭は質素を旨としてきた。質素であるがゆえに、何ものにもへこたれぬ剛健なる心を養うことが出来ることが信条とされていた。よって、なまけ心が生まれるはずもなく勤勉なる人間を育むことが出来たのであった。現在の日本人の価値観をひっくり返すような提言であるが、その決意なくしては、日本精神の復活はないと思う。

 四番目は、

舊來(きゅうらい)陋習(ろうしゅう)ヲ破リ天地ノ公道ニ(もとづ)クベシ」

「これまでの悪い習慣を止め、何事も正しい道理に基づいて行動しなければなりません。」との大意である。

 鎖国を解いて外国と交わり、進んだ文明を学ぶことなしには、自国の独立を守り得ないと決意した先人たちにとって、あらゆる制度の一新は緊急課題であった。

 明治天皇は、京都から東京へと移られ、橿原の地で神武天皇が脱ぎ捨てられたとされる軍服を身に付けて、国民の先頭に立って国守る大御心をお示しになられている。まさに、身をもって変革を実践せられた訳で、現況に甘んじていれば必ずや後の憂いを招くとした決意の表明でもあったのだ。

 

以来、昭和天皇に至るまで、三代にわたって天皇様が軍服をめされた時代こそ、国家存亡の危機の時代であった。非常時にあたり国防国家を作り上げなければ、国家が滅んでしまうとの悲壮なる危機意識があった。そこにこそ、先人たちの西洋文明を学ぶ血のにじむような努力があり、燃え上がるような愛国精神があったことを知らねば、歴史の実相は見えてこないだろう。つづく