五番目には、「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ」。
その大意は「知識をひろく世界に求め、天皇を中心とするうるわしい国柄や伝統を大切にして、おおいに国を発展させましょう。」
欧米列強と交わり広く知識を世界に求めるということは、攘夷を主張し西洋文明を否定してきた明治維新の志士たちにとって、まったく正反対の道であった。それは、男子の面目としてしのび難いほどの大豹変だったが、彼らは己を空しうして、真に日本を守り抜くということだけを考え、攘夷の旗を捨てている。
そして何よりも、明治天皇にとっては、御父・孝明天皇の攘夷祈願を大転回する内容であったことに、思いを致さなければならない。
以上、五箇条の後に次の一文が続く。
「我國未曾有ノ變革ヲ為ントシ朕躬ヲ以テ衆ニ先シ天地神明ニ誓ヒ大ニ斯國是ヲ定メ萬民保全ノ道ヲ立ントス衆亦此旨趣ニ基キ協心努力セヨ」
その大意は「我国の歴史の中でも前例のない大きな変革をしようとするにあたり、私はみずから天地の神々や祖先に誓い、国政に関する基本方針を定め、国民生活の安定への道を造ろうとしている。国民も、この趣旨に基づいて心を合わせ努力するように。」
五箇条の御誓文と同時に発せられた御宸翰には、
「天下億兆一人も其処を得ざる時は、皆朕が罪なれば、云々」との文言があり、それは「萬民保全ノ道」の意味とされている。
どのような組織であれ、およそ長たる立場の方であれば、この言葉の持つ意味の重大さを感じない人はいないと思う。それぞれの特性に応じて任務を分け、十分にその能力を発揮してもらいたいと願わない上司がいないように、国家というスケールで同様に国民を思いやる明治天皇の大御心は、まさに親心と申してよい。斯様な君主をいただくからこそ、日本は家族国家と称されるのであった。
祖先と子孫をつなぐ責任、伝えるべき国家理想の回復を
道徳は、科学のように進歩するものではなく、継続する努力なしでは維持していけないもの。そして何よりも国家や民族の違いによる特性があることを認めなければならない。その上で、我国の伝統的良心によって、形作られてきた道徳を考えなければならない。
大東亜戦争が痛ましい敗北により終わった時、占領軍により日本のあらゆるものが否定され、国民道徳までもが崩されてしまった。明治憲法、日本神話、家族制度、そして教育勅語などである。
斯様に、国民道徳さえも否定し捨てさるほどの強権をもっていた占領軍をしても、ついに天皇制を廃止し昭和天皇を追放することは出来なかった。前世紀の世界で、戦争に敗れた国の王朝はことごとく滅び去っている。世界でただ一人、皇位を保たれた昭和天皇は、二十世紀の奇跡とされた。それは何故であったのか。
昭和天皇は、敗戦の翌年正月の詔において、五箇条の御誓文をあらためて国民に示された。祖国が占領されるという屈辱により意気消沈する国情の中で、ひたすら明治天皇の大御心を我が心とせられたことと拝察できる。
「我國未曾有ノ變革ヲ為ントシ朕躬ヲ以テ衆ニ先シ天地神明ニ誓ヒ大ニ斯國是ヲ定メ」との大御心に従い、祭を重んじ、国と自身の禊祓いに努められた。過ちはないか、罪穢れはないかと、ひたすらご精進なされ、国民統合の神聖を保ちつづけられた。国民もまた、敗戦という大ショックの中にあっても、天皇を仰ぐ気持ちを失わなかったのである。このことは、終戦直後のご巡幸における、各地での大歓迎の記録からも知ることが出来る。天皇と国民が互いの心をかよわせた、うるわしい美談が数え切れないほどにあるのだ。
そして、天皇を支持する圧倒的な国民意識こそ、占領軍の強権をはねかえし、天皇統治の改変を許さなかった最大要因となるのであった。
昭和天皇は明治天皇を仰ぎ、その御心を持って国難にあたり、明治天皇は神武天皇の建国の精神に習われた。ここに、最も大切なる日本の伝統があるように思う。つまり、死んでしまった祖先とも心がかよい合って話し合うことが出来る、命をかよわせることが出来るとの信である。この確たる信によって、日本では、国家的な危機状況の時代ほど、祖先の心に立ち返り、天皇を中心として一致団結、難局を乗り切ってきたのであった。
「子供たちの将来のために」とか「未来の日本のために」といった呼びかけを良く耳にするが、祖先の意思や思想を受け継ぐことなしには、掛け声倒れになってしまうことは、命の流れの道理を考えれば誰にでもわかることだろう。
家族や郷土を、そして祖国を守る為、懸命に努力を重ねてきた先人に対する感謝こそ、祖先と心をかよわせる入口となると信じて良い。
江戸末期から明治へ、そして昭和にいたるまでの祖先と心かよわせながら、祖国の歴史を学んでいただきたい。必ずや、五箇条の御誓文こそ、祖先から受け継ぎ子孫に申し渡すべき国是であると確信出来ることだろう。
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