2024/07/26
81、「戦時青年、ただに讃へむ」発刊
この度、拙著「戦時青年、ただに讃へむ」を、展転社より発行致しました。現在、アマゾンや楽天でも予約受付しており、8月初旬には書店でもお求め戴けます。先ずは、本書出版の趣旨を次に記し、お知らせまで申し上げます。
2024/05/18
80、戦時青年 ただに讃へむ
我が国において、日本武尊に始まる「心やさしき勇者」の歴史。戦時青年たちは、間違いなくこの歴史に連なる勇気と人を思いやるやさしさを示してくれた。心やさしき勇者の物語を伝え続けるかぎり、日本は勇気と思いやりに満ちた日本であり続ける。先人が伝え来たった日本武尊神話とともに、大東亜戦争時の青年たちの物語もまた神話となって、将来の日本青年にやさしさを、そして勇気を語り続けることだろう。
2024/04/16
79、五箇条の御誓文 その3
江戸末期から明治へ、そして昭和にいたるまでの祖先と心かよわせながら、祖国の歴史を学んでいただきたい。必ずや、五箇条の御誓文こそ、祖先から受け継ぎ子孫に申し渡すべき国是であると確信出来ることだろう。
2024/04/12
78、五箇条の御誓文 その2
五箇条の一番は、 「廣ひろク會議かいぎヲ興おこシ萬機ばんき公論こうろんニ決スベシ」。 「国家の政治は、ひろく人材を求めて会議を開き、公正な意見によって決定するように」との大意である。
2024/04/09
77、五箇条の御誓文 その1
今日、日本は多くの問題を抱えている。家庭では親が子育てに迷い、学校も又、学問以前に規律をなくし、青年は志を失い自己の欲求に従うばかり。経済も成長性が低く、政治家は国家の理想を語ることが出来ままとなっている。 目指すべきものを失い、ただよえるようなこの日本社会を立て直すためには、国民が一丸となって目指すべき理想が掲げられなければならない。それ故、明治天皇が示された「五箇条の御誓文」を、あらためて読み直し、日本の国家の目指すべき理想を確認したいものだ。
2024/04/04
76、遊就館の力
郷里に、美容院を経営している従兄弟がいる。25年以上前のことだが、彼は二十歳前後の男女4名の従業員を引き連れて上京し、遊就館を訪ねてくれた。美容技術を競う全国大会に参加する青年たちに、戦没者の遺書を読ませたいという。たっぷり時間はあるという彼の言葉に従って、戦没者の遺書をはじめ黒船来航以来の日本の歴史について館内を解説案内した。それは、2時間半に及んだが彼等は飽きる様子もなく熱心に聞き入っていた。特別な感想の言葉はなかったが、青年たちの目には光るものがはっきりと見て取れた。その3日後、従兄弟からの電話。「こないだの一人が全国優勝した。ほかの3名も入賞以上の好成績で、何年も参加してきて初めてのことだ。遊就館が彼等に力を与えてくれたことは間違いない。本当に、ありがとう。」
2024/03/30
75、神功皇后と武内宿禰
端午の節句には、男の子が勇気ある人と成長することを願って、神功皇后と武内宿禰の人形が飾られてきた。その縁起を語りたい。
2024/03/26
74、源融
京都市下京区に塩竈町があることをご存知だろうか。嵯峨天皇の第十二皇子として生まれ、後に左大臣となった「源みなもとの融とほる」の屋敷があつたことに因んだ町名である。融の何が鹽竈と呼ばれる所以なのか。
2024/03/22
73、令和元年5月1日に思う
全国で響き渡った天皇陛下万歳の声、朱印を求める人の波。戦後、占領軍によって国民から切り離されようとされた皇室や神話そして神社。そして、過酷な占領政策だけでなく、その尻馬に乗った政治勢力によって学校及び公的機関からも排除されててしまった。しかし、如何なる攻撃に遭おうとも、我ら日本人の中にある皇室敬慕の心情を消し去ることは出来なかったのだ。
2024/03/17
72、乙橘比売の覚悟
走水海(はしりみずのうみ・現在の浦賀水道)を船で渡ろうとした時のことだった。大波が起こり、航路は閉ざされてしまう。「尊の代わりに私が海に入って、海神の怒りをなだめましょう。」と、弟橘比売は美しくよそおって海に入られてしまった。すると荒波が静まり、船は無事対岸へと進むことができたのだった。

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